植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

未来が楽しみ。

知らない町を歩くとき、スマホの地図機能はとても便利です。
僕はiphoneを使っています。
しかし、この地図機能は、なぜか最初から現在まで、ずーっと微妙。
 
せめて、歩ける範囲とか、移動できる範囲で教えて欲しいんですけど。
 
たとえば、「カレー」って入力したら、
フランスのカレー海岸が表示されます。
 
「ケンタッキー」って入力したら、
もちろん、アメリカのケンタッキー州が表示されます。
 
プラモデルと入れたら、まっすぐに、新橋にある
タミヤプラモデルファクトリー」が表示されます。
 
おま!どないして行けっちゅうねん!
怒るでホンマ!
ああ、横山やすし師匠の魂が降りてきた。
 
パソコンでなら、そんな変なことおきないのにな。
なぜ、同じプログラムじゃないのかな。
 
それとも、iphone8では、瞬間移動機能がサポートされるのか?
 
楽しみです。
 

間違った負けず嫌い。

小学生や中学生の頃、
相手の話に勝たないと気が済まない子がいました。
 
たとえば、クワガタムシを捕まえた話になったら、「ぼくなんて、ミヤマクワガタ10匹も飼ってるよ!」と言います。
「ええ!すごい!見せて!」と言うと、「いいよ!」といいます。
でも、当日になったら「いや、昨日全部にげちゃった」とか言います。
 
最初は僕も戸惑いましたが、何度もやるので、慣れました。
毎回、言い訳がおもしろかったです。
 
でも、大人になってもそのまんまの人はたくさんいます。
 
車の話をしていて、自分が乗ったことのあるハイパワーな車の話をしたら、
「いやいや、そんなの、これこれに比べたらぜんぜんチャチだね。」と言われてしまいます。でも、その本人は、その車に乗ったことがないどころか、見たこともないです。雑誌のインプレッションをそのまましゃべってるだけです。
 
だれかが作った工作を見ていて、僕が感動していても、
「こんなのよくあるよね。前にテレビで見たやつはもっとすごかったよ。こんなのレベル低いよ。」とか言い出す人がいました。
「でも、こんなの、作れないじゃん」と言ったら、
「こんなくだらないことにかけてる時間はありません。」と
おっしゃられました。
無敵すぎぎる。
 
そこで勝ってどうすんの?
 
僕は、自分ができない事が出来る人は、すべて尊敬します。
そして、僕もやってみたいと思います。
そのとき、かならず躊躇があります。
うまくできないかも。
下手くそかも。
時間ばかりかかるかも。
でも、この躊躇の向こうにこそ成長があります。
できることだけやっていたって、全く成長できません。
だからこそ、自分ができない事に触れたとき、僕は素直に感動するようにしています。
 
嫌なことを言う人達は、少なくないです。
その言葉はとてもつらく心に刺さります。
でもね、たとえば、道の向こうで犬が吠えていたら、腹立ちますか?
カラスが鳴いていたら、腹立ちますか?
もしかしたら、「ばーか」「よーやるわ」って言ってるかもしれないけど、言葉がわからないから気にならないはず。
ひどい言葉を使う人達は、その言葉の意味を理解しないで使っています。だから、「あー、どっかで犬吠えてるわ−。なんか人の言葉みたいな吠え方だな。きもちわりー。」と思うようにしたら、ちょっと気持ちが楽になるかも。
 
勝たないと自信を保てない人達。
誰かを負かさないと自信を保てない人達。
自分以下を必要とする人達。
そういう人達も、生まれたときはそうじゃなかったはず。
誰かが、彼らの自信をうばい、間違った自信の増やし方をおしえてしまっただけです。
 
だからこそ、人の自信を奪わぬように、人を尊重し、
正しい自信の増やし方を実行すべきです。
 
自信は、やったことがないことをやると増えます。
だからこそ、「自分ができない事」に出会ったときに、
素直に感動するのが一番です。
 
「うわー!すごい!」「やってみたい!」
 
この素直な感動が、人の自信をふやします。
 
スカして、斜に構えてる場合じゃないってばよ!

計画変更

レンタカー借りに行ったら、一台もなかった。なんでも同友会の大会が鹿児島であるそうで、全部出払ったみたいです。

ということで、鹿児島は大きな本屋さんが多いらしいので、本屋探しの旅に変更です。

いやー、あったかいわ。

初夏のようです。


現在鹿児島でごわす。(方言の使い方はあってるのか?)

現在鹿児島。
今日はとてもいい天気。暖かいらしい。

鹿児島と言えば!
二式大艇
見に行こうかと思ったら、鹿屋って、とても行きにくい場所なのね。

やむを得ないので、知覧に行くか。

レンタカー借りに行こう。

成長しない人は、他人の成長を潰す。

結構前の話ですが、
ある工場に行きました。
 
そこは、新しい機械の開発と実験をやっている工場でした。
 
いままさに、新しい装置の組み立てをしているようです。
大きなカバーを取り付けようとしていました。
 
でも、その作業に僕は不安を感じました。
 
おそらく、偉い人が大声で怒鳴っています。
作業がうまく行っていないようです。
「おら!なにやってんのよ!」
「おまえ!ちゃんとやれよ!」
「あー、ちがうちがう!だめだだめだ!かってなことすんな!」
「何ぼーっとしてんのよ!さっさとやれよ!」
先頭に戻る。
 
作業している人達は、みんなこの言葉にいらついています。
「そんなに言うなら、お前一人でやれよ!」という雰囲気が
どんどん濃密になっていきました。
 
この怒鳴り声の指示には、具体的な情報がないです。
他人がやってることを否定しているだけです。
どうすればうまくいくのか、まったく指示していません。
そんな指示に従う方法は、「なにもしない」です。
でも、「さっさとやれ!」と怒鳴られます。
だから、ゾンビのようにゆったりと、指示されたことだけをやるしかないです。(ドーンオブザデッドの走るゾンビじゃなくてね。)
 
で、週明け。その工場で大きな事故があったことを知りました。
なんとなく納得してしまいました。
 
でも、こういう、無価値な指示をしてる人はたくさんいます。
きっと、自分がどうやってやってるのか、わかってない人です。
こういう人は、前回よりもよくしようと思わないです。
もしも、前回よりも良くしようと思ったら、前回の自分の作業を考え、改良点を考え、試すからです。
その過程で、自分の作業のことをよく理解します。
こういう無価値な指示をする人は、成長しないどころか、まわりの人の成長までも潰してしまいます。
 
でも、同じような学校を沢山見てきました。
生徒はみんな、ジョージ・A・ロメロ風のゾンビになってました。
生徒の行動を否定する言葉を怒鳴り散らす先生は、
おそらく、いままでやってきたことを、検証もせず、そのまま繰り返すだけの先生なのだろうと思います。
 
人は、成長します。
その価値はすごいです。どんな金利よりも高いです。
でも、人を成長させないどころか、潰す人もいます。
自分自身が成長できない人です。
そういう人が、教育者や上司になったら大変です。
 
こういう人に負けないためには、こういう人の仕事をなくするのが一番です。
なんでも、先にやってしまうのです。行動するのです。
いい手柄をあげるのです。
おそらくそうしたら、その手柄は、全部いやな上司に持って行かれるでしょう。
でも、大事なのは、手柄ではないです。自分の成長です。
だから、悔しいかもしれないけど、先回りです。
やがて、その「成長しない人」は、存在理由を失います。
 
悔しいけれど、
「明日のために、今日の屈辱に耐えるのだ!」でがんばりましょう。

自分がされた嫌なことを、自分はけっしてしまい。という心は大切です。

僕はロケットを作っています。
それは、僕の夢でもビジネスでもないです。
それは、手段に過ぎないです。
でも、手段だけど、いろんなことが出来るようになってきました。
 
僕らは、ポリエチレンを燃料にしたハイブリッドロケットの開発をしています。
同時に、液体燃料と固体燃料のロケットの研究もしています。
それぞれに長所と短所があるから、用途によって使い分けるためです。だから、どれがいい!どれがだめ!なんて思わないです。
全部やる。です。
 
僕は、ロケットの特殊性を知っています。
ごく限られた用途にしか使えないです。
また、ロケットの打ち上げは、容易ではありません。
広い範囲を必要とするため、多くの人の合意がないとできません。
その調整にはすごく時間がかかり、非効率です。
そして僕は、現在人工衛星がやっている仕事の中でも、地上観測に関しては、小型固定翼無人機の方が有効なシーンも多いことを知っています。
それは、ロケットの否定とも言えますが、そもそも、ロケットに固執するつもりは無いです。ロケットは沢山ある運搬手段の一つに過ぎません。
 
僕らはロケットを作る過程で、ロケットの排気音を小さくする大型サイレンサーを作りました。遠隔操作で試験できる実験設備も作りました。すると、それらを活用するために、様々な研究機関が来てくれるようになりました。
そのおかげで、僕らは多くの知恵と経験と人脈を得られるようになり、それが、新しい仕事にもつながっています。
できることがどんどん増えています。
もうじき、低気圧状態でロケットエンジンの試験が出来る特殊な装置も作る予定です。
 
僕らは、どこからも出資を得ないので、
僕らがやってることをコマーシャルする必要がありません。
僕らのロケットを販売するつもりも今のところないので、営業する必要もありません。(そのために、僕らは、ロケットのお客さんである人工衛星と微小重力実験も自分で出来るようにしています。当分は、自分たちの研究開発で十分忙しいはずです。)
だから、僕らのやってることを知るのは困難です。
でも、地道にけっこう進んでいます。
 
僕のまわりには、僕とちがう方法で、
よりよくを求めてがんばる人達がたくさんいます。
PTA活動をがんばってる人。
ボランティアをがんばってる人。
災害支援をがんばってる人。
でも、そういう人たちの事を、
「よーやるわ」「なにそれ自慢」「余裕あるやつはいいよね」
という人達もいます。
ちょっと心がざわつきますが、こういうことを言う人達は、何もしないから、競合にも障壁にもなりません。だから気にしなくてもいいです。
でも、気にしてしまう人達はいます。当たり前です。
 
人の人生やお金を、何に使おうが、それは個人の自由です。
でもそれを、否定したり、愚かな行為だと評論する人は少なくないです。
きっと、同じ事をされた人だと思います。
 
人は、2種類います。
自分がされた嫌なことを、自分は決してしまい、と思う人と、
自分がされた嫌なことを、誰かにしないと、自分だけ損をする、と思う人。
後者は、とても心が弱いので、絶対に、歯向かってこない相手にしかやりません。その結果、それは、弱い人に向かってどんどん連鎖蓄積されていきます。とても不幸な連鎖です。
 
その連鎖を断ち切るためには、
「自分がされた嫌なことを、自分は決してしまい。」と思う心です。
これは、たしか幼稚園くらいで習うはずでは・・・
 
そういう人が増えたら、他人の人生に土足で踏み込んでくるような人は減っていくと思います。