植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

僕は不登校はダメだと思わない。

不登校の子が増えています。
で、残念なことに、学校に行かないことがダメなことだ、という認識の親が多すぎます。
 
「みんなが当たり前にできてることが、なんでできないの?」
これ、言われた子どもにとっては、ものすごくつらいことです。
だって、いま、自分がこれ言われてごらんよ。
 
会社の同僚や先輩に
「どうしてお前は、みんなが当たり前にできてることができないんだ?」
なんて言われたら、返す言葉もないですね。
だって、「なぜできないのか」がわかっていれば、出来てるからです。
わからないんだから、こたえられるわけないじゃないですか。
 
学校に行くのは、あたりまえと言えばあたりまえです。義務教育だとなおさらね。
でも、行けない、のには、理由があります。
その理由をしっかり分析すべきです。
でも、理由を聞くべき時に、はなから、「行くのが当たり前」「行かないのはダメな行為」というスタンスで向き合ったら、理由なんて聞き出すことは不可能です。
 
ましてや、その理由が、学校の環境にあるとしたら、まずすべきは、その環境の、何が問題なのか?その問題は改善できるか?の検討じゃないでしょうか?
「いやいや、そういう環境に耐えることが大事だ。それを経験しないと、わがままな人間になってしまう」という意見も、すごくよく聞くセリフですが、「つらいことをがまんするのが強さだ」と教えてしまうと、ストレスをストレスと認識できなくなります。でも、ストレスはゆっくり心をむしばみ、それは、大人になってからの問題行動としてある日発現したりします。
ちなみに、「心頭滅却すれば火も亦た涼し」という言葉がありますが、この言葉を残した人は焼死してるそうです。
 
いろんな人がいます。集団行動が出来無い人がいます。周囲の人の声が騒音にしか聞こえない人がいます。パーソナルエリアがとてつもなく広い人もいます。(ぼくです)
それでも、大人になったら、いろんな会社があり、職場環境があり、自分に最適な場所を探すことは不可能ではないです。場合によっては、自営業もありです。
でも、学校は、どこもかしこもだいたい一緒です。選択肢がありません。
その学校がつとまらないなら、どこに行ったってつとまるわけがない。なんてことは無いです。
人生いろいろ。会社もいろいろ。
 
大事なのは、問題を解決することです。
学校に行けないことを、ダメだ!とにかく行け!と強制するだけでは、たとえ学校に行けたとしても、問題は解決していないです。むしろ、ちがう形で問題が進行してる場合もあります。
子どもの中には、悩み事があっても、いじめられていても、親を心配させたくない。親に「いじめられるような弱い人間」と思われたくない。とおもうあまりに、誰にも相談できないまま、学校に通い続けて、そして耐えられなくなってしまう子もいます。
不登校は、不登校というシグナルがでてるからこそ、対策できる可能性があるのです。
 
学校に行けないことがダメなのではなく、いけない学校の環境に問題がある可能性がある、と考えることも出来るはずです。もちろんその場合も、学校の環境がダメではありません。
大多数の子が不満を感じない学校の環境はダメじゃないです。でもそこに、なにか耐えられない理由があります。
これは、アレルギーと同じように考えてはいかがでしょう。

みんなが食べてる給食を、食べられないなんてダメだ。と言うのは、昔の先生です。
いまは、1人1人に、アレルギーの有無を確認して対応しますね。
保健室にも、アレルギー対策のシリンジなどが用意されるようになりました。
そして、アレルギーがある子は、ダメじゃないでしょ?
(僕は、サクランボ系がだめな気がします。窒息すると思います。)
 
まずは、
「学校に行くのはあたりまえ。あたりまえの事が出来ないのはダメ人間。」と思ってしまったときに、
「みんなが食べてる給食食べるのはあたりまえ。あたりまえの事が出来ないのはダメ人間。」と思ってみてください。
そうしたら、「そうじゃないよな」と思えるかも。
そこからが、問題解決のはじまりです。
まずは、なぜ行きたくないのかを、ゆっくりと聞いてみたらいいと思います。
(話の聞き方については、だいぶ前に書いたと思うので、探してみてください。)
 
 

努力をうらやむ人達。

「努力をすると、ずるいと言われるんです。」
という相談を受けました。
 
はい。そういうケースは、かなりあります。
よくあることだから、気にすんな!なんていう回答はしません。
勇気を出して相談してくれた人には、
真剣に向き合うべきだと思います。
 
自分にかかわる、ある問題に気がついたとき、
普通の人は、その問題を解決しようと思います。
たとえば、世の中の、悲しいことや、苦しいことや、不便なことを、解決したくなるのは、人間が生まれ持つ資質のような気がします。だからこそ、人間は進化できたんだと思います。
 
問題が、なぜ問題なのかを考えることで、原因が見えてきます。
原因の原因まで考えるのも大事です。
そういう分析を進めていくと、
「こうしたら、こうなるだろうな」という仮説が見えてきます。
その仮説は複数見つかります。
その中で、最も、投資に対して効果の高そうに思えることからやるのが、効率的な問題解決になります。
 
でも、そういう思考や工夫や行動は、とやかく言われることがあります。
まずは、問題そのものが、
「そんなこと考える前に、することあるでしょ?」
「普通のことさえちゃんとできないのに、余計なこと考える必要ない!」
と、勝手に優先度制御されて、否定されてしまうことがあります。
 
また、せっかく考えた仮説は
「そうとはかぎらないよ。世の中そんなに甘くないよ。複雑なんだよ。」という、すんごく当たり前の事を言われてしまうことがあります。
いや、そんなのわかってるって。だから、複数の仮説を立てて考えるんだよ。と言っても、
相手は「問題は複雑なんだよ。そんなに簡単じゃないんだよ。」の一点張りです。
まあ、こういう人は、「とりあえず、様子を見ましょう。」で何もしない人です。
 
そして、具体的な行動は
「そんなことして、なんになるの?」
「1人くらいがんばったって、変わりやしないよ。」
「無駄な努力は、しないほうがいいよ。」
「そんなことして、なんになるの?」
と否定されます。
ところが、ある程度成果が出はじめると、今度は、
「抜け駆け」「ええかっこしい」「売名行為」「偽善」などと言われます。
そして、かなりいい感じになると、
「余裕ある奴はいいよね」「恵まれてたから出来たんだ」などと言われます。
 
で、こういうことを言う人達に共通しているのは、「問題解決能力が無い」です。
 
壁にぶつかったときに、あきらめたり、やめたりして、壁を無かったことにしてしまう経験しかしてこなかった人たちは、問題を解決できません。
または、「どーせ無理だわ」と、はなからあきらめることで、そもそも壁にぶつからないようにしてきた人達もまた、問題解決能力を持ちません。
 
そういう人から見ると、問題を解決しようとする人は、異質に見えるのだと思います。
でもね、問題を解決しようとする人達がいるから、いろんな病気が治るようになってきました。いろんな便利が生まれました。
そういう人類の努力の恩恵にぬくぬくとあずかりながら、問題を解決しようとする努力を否定する人間がいることは、とても残念なことです。
 
で、大事なことは、「他人の評論は自分の人生には何の影響もない」です。
 
どんなものを見ても、「いい」と思う人と、「いやだ」と思う人が、必ずいます。
その存在確率は、おそらく50%くらいです。同数です。
で、マイナスの意見と、プラスの意見が、同数あると言うことは、足したらゼロです。
だから、こんなのどーでもいいんです。
 
自分を信じるのです。そして、自分で考えて、自分で試すのです。
自分の人生は、自分のものです。自分の人生の責任を負えるのは、自分だけなんです。
 
さあ、それでは行ってみましょう。
中島みゆきさんの、「宙船」どうぞ!
(もちろん、TOKIOでもオッケーです。)
 
ということで、もしも、努力やがんばりが否定されて悲しいときは、カラオケで、「宙船」を絶唱するといいと思います。
大丈夫。君と同じように、頑張ってる人は、意外と沢山いるよ!

僕がいなくなってもいいように。

植松電機は、基本的に学校単位の見学しか引き受けていません。
そのため、一般の方が見学に来るのは、とても困難です。
でも、そうも言ってられないかなあと、
昨年は、雪が降らない季節の、偶数月の第一土曜日の午後から、
ロケット体験教室を公開するようにしました。
それはもう、沢山の人が来てくれて、200人ほども来てくれたこともあります。
しかも、その大半が、本州からでした。
その頃は、予約を管理するのが面倒だったので、予約無しで、全数引き受け、をしていましたが、
さすがに、何人来るのかわからないのは恐怖でした。
だから、今年は、回数を増やして、人数制限をするようにしました。
今年は、雪が降らない季節の、毎月第一土曜日の午後から、先着100名でやっています。

さすがに、回数を増やしたことと、悪天候が続いてることもあって、
今のところ、比較的来てくれる人数が少なくて、正直ほっとしています。
(おおよそ、40名から50名)
で、気がつきました。
人数が少ない方が、来てくれた人達と関われる時間を増やせるなあ・・・ということです。

毎回、教室が終わったら、沢山の人が残って、話をしてくれます。
一緒に写真を撮ったり、サインを書いたり・・・
それはとてもありがたいことです。
でもさすがに、100人くらいになると、その時間は果てしなくなり、
時間の都合で帰らないと行けない人も沢山います。
それが本当に申し訳なく思っていました。
でも、人数が少ないと、1人1人の人と、長く話せる気がします。

ということで、今年は、あと8月と9月の二回ですが、
9月からは、人数を30人もしくは50人に制限しようかと思います。

本当は、土曜も日曜も、予約無しで、個人単位で来れるような仕組みにしたいと思っています。
来た人は、自分の技量に合わせて、いろんなロケットを作る体験が出来る感じ。
また、世界のロケットの発達の歴史なども展示できたらいいなと思います。
ロケットも最初は手作りだったんだよ、ということを、もっと多くの人に知ってほしいです。
僕は、そんな、科学館のような感じにしたいなあと思っています。
でも、そのときには、僕はそこには直接は関われなくなるでしょう。
なんたって、休み無しだと、さすがに厳しいです。

僕も、今年の夏で51歳になります。
人の命には限りがあるので、遠からず、僕がいなくても、「どーせ無理」に負けない、
「だったらこうしてみたら」の人を増やす仕組みが必要になるなと、僕は思っています。
今年、トライをし始めた、「あんまり飛ばないペーパーロケット」も、その一つの挑戦です。
日本の各地で、広い打ち上げ場所が確保できなくても、モデルロケットを経験できる仕組みが
作れたらいいなと思っています。
7月8日には、滋賀県草津で、その「あんまり飛ばないペーパーロケット」のワークショップがあります。なんでも、応募開始から1時間で満員御礼だったとか。ありがたいことです。

これからも、いろんなことを試していきたいと思います。


未来は可能性にあふれている。ほんとだよ。

僕は今、会社を経営しています。
でも、この僕の状態を、中学生の時の先生や、高校生の時の先生は、想像もしなかったでしょう。
もちろん、当時の僕自身も、今の自分の状態を想像もしていませんでした。

実は、未来は、自分にも、誰にもわかりません。

だから、未来をあきらめる必要は無いのです。

限られた、憶測を含む、曖昧な情報などで、未来をあきらめてはいけません。

唯一はっきりしてることは、「未来はわからないからこそ、未来をあきらめる必要は無い」です。

なんだかわからないけど、すべての人の未来は可能性にあふれています。

その未来を、素敵な物にする秘訣は、
自分の夢を出会う人出会う人に、片っ端からしゃべることです。
もちろん、夢を否定する人も、バカにする人もいるでしょう。
でも、そういう人達は、「やったことがない人」「あきらめた人」です。
そういう人達の情報は、不正確なので、信じない方がいいです。
大事なのは、わかってくれる人に出会えるまで、しゃべる続けることです。
それは、かならずつながっていきます。予想もしない形でつながります。

大事なことだから、もう一度言います。
「未来はわからないからこそ、未来をあきらめる必要は無い」です。

自動化により無くなる仕事のリストを見て不安にならなくてもいいんじゃないかな。

最近、ネットでちょっと調べたら、ロボット化や自動化によって、10年後になくなる可能性のある職業の一覧が簡単に見つかります。
僕は、そのリストを眺めながら、「まあ、たしかにそうかもなあ。」と思います。
でも僕は、いままでに、いろんな職業がなくなっていくところを見てきたので、
ある日突然、特定の職業がいきなり消滅することはないことを知っています。
まずは田舎で、やがて都会で。もしくは、その逆とか。
時には、その変化は、10年くらいかかることもあります。
そして、もうすでに、そういう変化をしている職業も沢山あります。
僕は、ある職業の寿命は20年だと思っています。
だから、10年目くらいには、次の仕事へのシフトをしています。
植松電機の主力の仕事はリサイクル用のマグネットの開発と製造と販売ですが、
現在は、マグネットの売り上げは全体の70%程度になってきています。
マグネット以外の仕事を成長させる努力をしています。
だから、僕は、植松電機の将来をあんまり心配していません。
(ある意味、常に心配して、準備してるから、心配が少ないといえます。)

でも、最近、高校生や大学生の中には、なくなる可能性のある仕事リストに、自分のやりたかった仕事を見つけて、「いままでやってきたことは、なんだったんだ!」と絶望する人がいます。
まだ、その仕事に就いたこともなく、資格も取っていないのにです。

僕だったら、「そうか。なくなる仕事だったか。確かにそうかもなあ。じゃあ、これから必要とされる仕事の分野について調べてみようかな。」と思います。
考える時間も、準備する時間もあります。
だから、これは、突然やってくる災害に比べたら、ぜんぜんへっちゃらな問題です。
絶望する必要を感じません。

職業には寿命があります。そして職業は沢山あります。
でも、人間の仕事は、おそらく一つだと思います。そしてそれは、永遠です。
その、人間の本当の仕事とは、「よりよくの追求」だと思います。
よりよくするための思考と工夫と努力と、よりよくなったときの喜びを知る人は、きっと、
どんな職業に就いても、素晴らしい成果をあげてしまいます。

僕は、その喜びを知ってるから、どんな仕事も、僕の思考と工夫でよりよくできるなら幸せです。だから僕にとっては、思考も工夫も一切許されず、僕らしさが一切なく、誰がやっても同じな、
ただ同じ事を繰り返すだけの仕事は、苦痛です。
でも、ラッキーなことに、そういう仕事はロボットがやってくれることになるので、
この世に残る人間がする仕事は、僕の好きな仕事ばかりになるはずです。
だから僕は、将来の仕事について、不安を感じないです。

で、ちなみに、日本でロボット化や自動化によってなくなる可能性のある仕事は、
日本より電力事情が悪い国では、もっと遅くまで残ると思います。
だから、どうしても、その仕事がしたければ、海外で探すと見つけられると思うので、
いずれにせよ、「ロボット化で仕事がなくなる」ことについて、絶望する必要はないと思います。

明日は半年ぶりのスポシューじゃ!

さて、明日は、半年ぶりのスポーツシューティングクラブの集まりです。
忙しかった・・・

久々にエアガンいじりました。
マルイのM4パトリオットハイサイクル。
外装は、ストックをつけて、ストックチューブの根元に丈夫なスイベルをつけました。
フォアグリップには、エルゴノミクスタイプ。なんかSFっぽい感じ。
照準器は、1〜5倍のスコープ。視野が結構広い。
そして、その横に、バックアップ用のアイアンサイト。
スプリングとバレルを変えてみました。
スプリング交換の結果、通常のハイサイクルは、銃口直近で85m/s程度ですが、98m/sくらいでてます。
バレル交換の結果、集弾性能もかなり向上。狙ったところに、どさっと弾が飛んでいきます。
心配した発射サイクルの低下は、ほとんどありませんでした。

天気予報では、今日は晴れるみたい。濡れた地面がどのくらい乾くかな。
明日は、曇りで、夜から雨のようです。
この予報のままなら、いけるぜ!(でも、濡れても大丈夫な靴の準備をした方がいいと思う。)

ということで、明日は、ゲーム自体は13時からですが、開始時間厳守って事はないです。
ぼちぼちきても、ぼちぼち参加できます。
おそらく、一回のゲームは数分です。それを何度も繰り返すから、途中参加、途中退出もぜんぜんありです。
最後の方に、みんなで競えるイベントをやって、優勝者には、何らかの賞品を用意しようと思います。
会場の設営は、9時くらいからぼちぼちやっておこうかな。
スポシュー用の白看板も、あればいろんなイベントに使われているので、追加で補充しました。

地面が十分に乾いていれば、草地を使って、長さ200mくらいのフィールドにして、
一番奥に、敵の本拠地。その手前に、中ボスの基地。を攻略しながら攻めていくような
ゲームにしてみたいなと思っています。
本拠地の人を倒してもいいけど、場合によっては、風船を用意して、それを割られたらその陣地を放棄しなければいけない、というような設定でもいいかなと思います。

今回は、レンタルガンも、プロテクターも、バッテリーや弾も、十分に前線にもちこみ、
途中から来た人でも、すぐに装備できるようにしようと思います。

フィールドの一部には、照準器調整用のターゲットも用意して、そこで練習も出来るようにしようと思います。

久々開催です。楽しみです。

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今週末の土曜日は、滝川高校のオープンキャンパスで講演です。

今週末の土曜日は、
隣町の滝川高校オープンキャンパスです。
そこで、10時05分から講演させていただくことになりました。
高校生向けの講演です。
申し込みは・・・今日までだわ。

 

http://www.takikawa.hokkaido-c.ed.jp/?page_id=37