植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

高校生は忙しすぎる。それは、現実を見ない大人が原因かも。

僕は、高校生と関わる機会が多いです。
沢山の感想文もいただけます。
 
で、感じてるのは、彼らが忙しすぎることです。
 
将来のために進学をしようとしているのに、
進学をしようとしたら、将来の事なんて考えてるヒマもなく、勉強と課題と部活です。
結果的に、大忙しの内に3年生になってしまって、
どんどん決断を迫られて・・・決められなくて・・・偏差値と消去法で行き先を決めちゃう。
 
これは、本末転倒もはなはだしいです。
 
僕はいま50歳です。
ちなみに、僕らが高校生の頃と比較すると、部活の時間は2倍くらいに増えているそうです。
そして、進学率は2倍ほどに増え、浪人率は半分ほどだそうです。
さらには、学費は2倍ほどになってるそうです。
僕らが高校生だったときの環境と、今の高校生がおかれている環境は、
相当にちがっています。
 
僕らは高校生の時は、「進学すればなんとかなる」でした。
なぜなら、大学生が少なかったから、希少価値があったからです。
でもその希少価値は、1/4ほどにまで低下しているといえます。
学費のことも考えたら、投資に対して得られる成果は1/8にまで低下してるかも。
そして、僕らほどに、今の高校生は自由な時間がありません。思考する時間が足りないのです。
 
そろそろ、昔の常識にとらわれないで、進学の価値を真剣に考えるべきでは?
考えてみたらわかるでしょう。こんなに少子化で、小学校や中学校や高校は、ばんばん統廃合してるのに、なぜ大学は減らないの?それどころか、新しく増やそうともしてるね。
たとえば、2004年に政府の方針で法科大学院が急激に増設されて、でも、現在では、そのうちの約半分が廃止や募集停止になって、志願者数は、2004年の1/10ほどになってるという例もあります。がんばって難しい資格を取ったのに、仕事がない人がたくさんいるそうです。


 
現在の、新しい情報を得ようとしない大人が、大昔の常識で、未来を生きる子ども達の人生を決めるのはおかしいです。

せめて、大人は、もっと社会の事を知るべきです。
大人よ、現実を見ろ!(さんざん大人に言われたから、言い返したった。)

 
 
 

植松電機がロケット打ち上げをビジネスにしない理由

最近、民間の宇宙開発の話が盛り上がっています。
ていうか、こういうのは、過去に何度も経験しています。
 
思い起こせば、10年ほど前には、民間宇宙旅行がかなり盛り上がりました。
その頃に、植松電機はガイアの夜明けという番組で取り上げられました。
でも、あのブームもどこへやら・・・
 
で、ここのところ、いろんな人から、宇宙開発のビジネスについて質問されます。
でもその質問は、全部同じです。
「小型ロケットで人工衛星を打ち上げるビジネスをやるのですか?」です。
 
僕の答えは、「やるつもりはない」です。
そうすると、質問した人は、みんなきまってがっかりした顔をします。
 
僕が、自分の会社で、小型ロケットで人工衛星を打ち上げるビジネスをするつもりがない理由は、明確です。
小型ロケットで人工衛星を打ち上げるビジネスをしたい人は沢山います。
この中で有利なのは、「すでに飛ばしてる人」です。そういう人は世界的にはけっこういます。
そして、さらに有利なのは、「人件費が安く、打上の際に住んでいる人との調整がしやすい」です。ここまで考えたら、圧倒的に有利なのは、北朝鮮と中国です。
彼の国が、平和的な人工衛星打ち上げにロケットを使ってください、とアピールした瞬間に、
価格的に勝ってこない競争相手になります。
そういう所と競合になったら、間違いなく、安さ勝負になり、利益がなくなります。
安くするために、民生部品を使う、というのもありですが、僕らの手に入る民生部品は、世界中で誰でも手に入ります。そしておそらく、日本で買うのがもっとも高価です。
利幅が少ない場合、天候や気象の影響を受けやすいロケットは、衛星の保険料も考えると、ビジネスとしてはかなり厳しいと、僕は判断しています。
だから、僕はそういう、負ける要素が多いビジネスをしないです。一応ビジネスマンなんで。
ただし、僕らは事業としては打上はやらないけど、そういうビジネスをしようとする人達のために、技術サポートをするのはありだと思っています。
 
でもね、宇宙開発をビジネスにするのは、ロケット打ち上げだけではないです。
実際に、植松電機の、宇宙に関連する事業の売り上げは成長し続けています。
微小重力の実験も増えているし、様々な実験や研究のサポートも増えています。
毎年修学旅行で来てくれている学校の先生達も、「毎年設備が増えている」と驚いてくれます。
そうそう。植松電機に修学旅行で来てくれている子達の数も、すでに赤平市の人口を超えています。そういう子達が、これからの社会で活躍してくれると思います。
僕はこれは、立派な経済効果だと思っています。
 


僕は、今の「民間宇宙開発ブーム」も、長くは続かないような気がしています。
総理大臣がかわったら、政府の方針もかわるような気がします。
(以前にそういうパターンで痛い目にあってるから。)
自由とは、他力への依存度と反比例です。
だから、僕は、自分たちの力で、「すべきこと」をしていくだけです。
 
僕の宇宙開発は、人の自信と可能性が奪われない社会を作るための手段です。
その軸足をずらさなかったからこそ、いままで継続して成長させてこられました。リーマンショックも乗り越えました。

もちろん、その速度は、遅いと思う人もいるでしょう。
だって、どこからもお金もらわないで、20人の仲間の生活を守りながらだし、
そして、なんといっても、人材の成長にそぐわない事業の成長をしたら、転びます。
フェスティーナ・レンテです。(ローマ皇帝アウグストゥスの言葉らしい。ゆっくり急げ。という意味だって。)

でも、最近、人がどんどん育ってる気がしています。だから、頑張って設備投資をしています。
 
そういうことができてるのも、ひとえに、日本中のリサイクルの仕事をしている方達が、
植松電機のマグネットを使ってくれるからです。本当にありがたいことです。
今日も、暑い中、ホコリにまみれて、資源を作り出してる人達のおかげです。
 

どうでもいいことだけど、と、テレビ放送の件。

問い合わせがすごく多いので、
書かんでもいいことのような気がするけど書きます。
 
松千春さんは、
植松努とは、血縁関係はありませんよ。
 
また、
今回のインターステラテクノロジズ社のロケット打ち上げには、
植松電機は関わっていませんよ。
 
植松電機は、ロケット打上などをプレスリリースしないです。
 
ちなみに、放送といえば、
8月4日のフジテレビの「みんなのニュース」で、
17時20分くらいから、植松電機に来てくれた高校生の子達の様子が放送されます。
 
また、8月5日の日本テレビ系の放送「大泉洋の驚きジャパン」という番組で、福島県の岩谷さんが登場します。以前、1×8いこうよという番組で、彼の宇宙バルーンのお手伝いをしましたが、今回もお手伝いしているので、植松電機もちょっとうつると思います。
 
ぜひ、見てあげてください。
 
 
 

最優先すべきは命です。

時々、スポーツのシーンで、「死ぬ気でやれ!」というセリフに出会います。
このセリフを、学校の先生も使うことがあるのが、とても怖いです。
叱咤激励のつもりなのでしょうが、「死」は、軽々しく使うべきじゃない言葉だと思います。

「死は鴻毛より軽しと心得よ」という言葉がありました。
明治の初期に書かれた軍人勅諭のなかの一言です。
これも、「死ね」といってるのではなく、叱咤激励、覚悟のすすめだと思います。
でも、この言葉は、拡大解釈され、「生きて虜囚の辱めを受けず」にまでつながったのだろうと、
僕は思っています。しかもそれは、軍人だけではなく、一般人にまで適用され、
大勢が自ら命を絶つことになります。

歴史上、背水の陣で、勝った人はほとんどいません。
というか、退路を断つ、というのは、攻撃側のセオリーです。
退路を断たれた方は、窮鼠猫を噛むで、いつも以上の力を発揮できる・・・わけないですね。
残念ながら、僕らはサイヤ人ではないので、追い込まれても、スーパーサイヤ人にはならないです。僕らは、暴走モードにも、ビーストモードにもならないしね。

督戦隊という部隊がありました。突撃を命じられた兵士が、びびって逃げ出さないように、
逃げた味方兵士を後ろから撃つという、めちゃくちゃなやり方です。
ジュード・ロウさん主演の映画、スターリングラードの冒頭シーンで描かれています。)
これもまた、背水の陣的考え方です。後戻りは許されない。死ぬ気で行け!です。
ま、たいてい、全滅します。

僕は、ラッキーなことに、小学校1年生の時に、宇宙戦艦ヤマトの、沖田艦長から、
「明日のために、今日の屈辱に耐えるのだ!」という言葉を教わりました。
おかげで僕は、どんなにつらくても悔しくても、投げ出さないですんでいます。
ぐっとこらえて、いつかかたきを取るのです。
沖田艦長は、敵うはずもない強敵を前にして、「死ぬ気で戦え!」と言いませんでした。
「生き延びろ」と言ってくれました。
それが、僕の力になりました。

だから、僕も、「死ぬ気で行け!」なんて命じないです。
僕は朝礼で、「みんなの命が一番大事だから、運転に気をつけて。もしも寝坊してしまっても、遅刻を恐れてスピードを出さないで。」と話します。それでいいと思っています。

大事なのは、命です。





自分が主体者じゃないと夢はかなわない。

夢をかなえるために、最も重要なのは、自分が主体者になることです。

どういうことかというと、
たとえば、「お金が欲しい」と思ったとします。
これは、かなりかなうのが難しいですね。
なぜなら、主体者が自分ではないからです。
「してもおらおう」「させてもらおう」というのは、他力への依存度が高すぎます。
これでは、自由はありません。

たとえば、「お金を効率的に稼ぎたい」だと、かなう可能性は増えますね。
なぜなら、自分の主体性が増えているからです。
いろんなアイデアを試せます。
時間あたりの収入を増やすのか、労働力あたりの収入を増やすのか、
いろんなことが考えられますが、考えられるからこそ、主体性は自分にあります。

でも、「お金を効率的に稼げる会社に雇われたい」だと、一気に遠のきます。
なぜなら「雇ってほしい」は、主体が自分ではないからです。

でも、僕ならそもそも、「お金が欲しいなあ」と思ったら、
「なぜお金が必要なのか」を考えます。
そして、「お金をかけないですむ方法」を考えます。
なぜなら、お金というものは、労働力を現金に変換しています。
その、変換されたあとの現金を、誰かの労働力にまた変換します。
それを、何度か繰り返すので、効率があまりよくないです。
自分でできる、が、最も効率的で、主体的です。自由です。
だから僕は、お金よりも、能力がほしいです。

夢がかなわない、と悩んでいる人の中には、
「してもらおう」の夢の人が多いかもしれません。
「する」夢なら、前進できます。
ちょっとでもいいから、「する」の割合を増やすように考えてみたらいいかもしれません。

人を値踏みするのは、世界を小さくする行為。

今から、16年ほど昔、マグネットの仕事を必死でやってる時代の僕は、人と出会うと、「この人は僕にとって、どんなメリットがあるかな?」「この人は、どう利用できるかな?」と考えていました。
僕の基準で、僕にとって役にたつかどうかの値踏みをしていました。
そして、役にたたないと思ったら、関わりませんでした。
僕はそれを、合理、だと思っていました。
でもこれは、とてもさもしい考え方だったと思います。

僕は、やがて、児童虐待を無くしたいと思うようになります。
その頃に、永田先生に出会えました。
そのとき、僕は、「この永田先生のロケットエンジンが実用化できたら、きっと、宇宙は手の届かない場所じゃなくなる。いままでは、宇宙は、不可能の象徴だったかも知れないけど、このエンジンがあれば、夢をあきらめない象徴になるかも。これは奇跡のエンジンだ。」と思いました。
そのとき、僕は、永田先生のカムイロケットエンジンを、自分ならどう支えられるのかを考えました。

そのときから、人の出会いが変化しました。
僕は、沢山の素晴らしい人と関われるようになりました。
というか、それまでも、そういうチャンスはあったのだと思います。
でも僕が、それを値踏みして台無しにしていただけです。
他人を値踏みすると言うことは、この素晴らしい世界を、自分の理解の範囲内に閉じ込めてしまう行為でした。

僕は、中学生の頃に、アドルフ・ヒトラーさんの「わが闘争」を読みました。
その本の中で彼は「価値のない命」という表現を使っていました。
でも、その「価値」とは、彼の判断です。
誰かを、「こいつらは、役にたたない。無価値だ。」と決めつけるのは、
僕がやっていたことと同じだった気がします。
でもそれを、現在もやってる人は少なくないです。他人に対しても、自分に対しても。

人間ほどわけわからんものはないです。
だからこそ、奇跡が沢山隠れていると思います。
だから、人と出会ったときは、「どう利用できるかな?」ではなく、
「どうやったらもっとよくなるかな。」を考えたらいいと思います。
それは、きっと、奇跡を連鎖的に生み出します。
そういう経験をしたことがある人は、きっとうなずいてると思います。
そういうのって、ありですよ。
だまされたと思って、人の見方をちょっと変えてみたらいいんじゃないかなと思います。