津和野はいいところでした!
昨日は、島根の津和野高校でお話しをさせていただけました。
きっかけは、昨年の益田でした。
益田のA野さんという方が、小学校でお話しする機会と、益田の方々にお話しする機会を作ってくださいました。
とても穏やかで優しい人ですが、町の未来のことを、とても真剣に考えてらっしゃる方でした。
その講演会に参加してくださった方が、仲間を集めて、今回の機会を作ってくださいました。
高校には、市内の全部の中学校もあつまってくださいました。
ただでさえ、授業時間がきびしいのに、移動を含めたら、かなりの時間がかかったはず。
それを捻出してくださった学校の先生方に感謝です。
津和野の子達は、とても朗らかで、すごく楽しそうに話を聞いてくれました。
ちなみに、ちょっと感じたことだけど、津和野の人は、見る人見る人、すらっとしてて、顔立ちもとても整っている感じです。
津和野高校も、様々な取り組みで、県外からも沢山の学生さんを集めていました。
津和野高校では、子ども達に夢についてのマインドマップをかいてもらっているそうです。
その上で、津和野の方々が70名以上も登録する、子ども達を支えるネットワークがあり、子ども達がチャレンジしたいことを、町の人と一緒に実現していこう、という取り組みをしているそうです。
ゆくゆくは、起業についても学ぶチャンスを作っていきたいそうです。
もともと、商業科があったからできています、とのことでしたが、
これは、言うなれば、スーパーサイエンスハイスクールではなく、スーパービジネスハイスクールかも。県外からも生徒があつまるのも理解できます。
日本では、「雇われかた」さえおしえていません。「いうことのききかた」しか教えない大人がほとんどです。
なぜなら、多くの仕事がそうだったからです。
命令に従うこと、が最優先です。でも、そういう環境では、「最低限しておけ」ということが「それだけやっておけば十分なんだろ?」になってしまいます。すなわち、最低のことしかできなくなります。
「そこまでするひつようあんの?」「余計なコトしたら損をする」がはびこると、よい製品も、よいサービスも生まれません。これでは、競争力など生まれません。
残念ながら、多くの子ども達が、「人の役にたちたい」と思っても、「いうことのききかた」しかしらないから、「指示されたことしかできない」「指示されないとうごけない」人になってしまいます。俗に言う「気が利かない人」です。
でも、世の中は変わりました。
いうことをきくだけの仕事は、ロボットがやるようになりました。
これからは、ロボットに負けない人が必要です。それは、「人の役にたつ」人です。
人の役にたつために、もっとも大事なのは、相手の立場になって考える「おもいやり」です。
そして、悲しいことや、不便なことや、苦しいことを、なんとかしたい、と思う「優しさ」です。
これを身につけられたら、よい仕事ができます。
その練習はとても大事です。それは、問題解決の練習です。
文章の空欄を埋める、ではなく、様々な世の中の問題に関わり、それを、多様な年齢の人達と一緒に考えて解決していくことは、ものすごく重要な修練になります。
なぜ、多様な年齢の人と関わるべきなのか?
それは、様々な人生経験と関わることになるからです。同じ年代の、同じ組織の人間だけでディスカッションしても、基本的に同じことしか経験していないから、ディスカッションはとても浅いものになる可能性があります。
津和野の高校は、それに挑んでいます。そして、津和野の町の人達は、それを支えようとしています。これは、素晴らしい事です。
津和野は、人口が僕の町より少ないです。だのにこのがんばりかた。
若い人達も、力を合わせて頑張ってる。
素晴らしいです。
津和野は、穏やかで静かな町でした。できれば、泊まって、今回の準備をしてくれた人たちと、お酒でも飲みたかったです。名残惜しかった。
津和野がんばれ。津和野の子達がんばれ。
北海道は寒くなりました。今日は島根。
うらやましい相手を攻撃しても、劣等感は消えないよ。
以前、伝記が嫌い、という学校の先生に会いました。
嫌いな理由は、「自分はそんなにがんばれない。伝記を読むと、劣等感ばかりわいてしまう。」だそうです。
似たように、偉人伝が嫌いという人にも出会いました。
その人は、偉人の生き様を否定し、見下していました。
でも、本来は、他人がどう生きようが、何を言おうが、自分の人生には直接の関係はないです。
自分がどう思うのか?どう感じるのか?が、自分の人生に影響を与えます。
だから、他人がどう生きようが、何を言おうが、否定も批判もする必要はありません。
でも、それをしてしまうのは、きっと、そうしないと、自分の劣等感に耐えられないからかもしれません。
確かに、自分ができないことができる人に出会うと、「自分なんて・・・」という劣等感を感じてしまうことがあります。でも、できる人だって、最初はできなかったのです。できるようになっただけです。その方法を学べば、自分もできるようになる可能性が高いです。
伝記には、その「できなかったことが、できるようになる過程」が書かれていると思います。
僕は、伝記とは、「こうしなさい!」「こうすべきだ!」という人生の指示書ではなく、単なる「情報」だと思っています。でも、その情報は、「やったことがある人」の情報なので、とても価値があります。有益です。貴重です。
できない自分を責めたり、できない自分を守るために、できてる人達を否定したりしても、
「自分ができない」という状態はひとつも変わりません。
状態を変えるためには、なにかをやってみるのがいいです。
そして、そのときには、やったことがある人のまねをするのと成功率が高まります。
そして、やったことがある人達の記録が、伝記だと思います。
だから僕は、伝記が好きです。