植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

おめでとう!荻田さん!南極点到達!

南極点を目指していた荻田さん。
無事に南極点に到達したそうです!
 
たった1人で、50日間も、
水も食事も何もかも1人で持って・・・
 
彼が経験してきたことは、他の誰も経験していないことです。
その知識と経験は、人類を進化させる貴重な情報です。
冒険とは、探検とは、そういうものだと思います。
 
荻田さんの、北極探検の本もおもしろいよ。
南極探検の本もでたらいいな。

 

北極男

北極男

 

 

荻田泰永さん!頑張れ!

いま、僕の大切な友人が、南極点を、単独無補給で、徒歩で目指しています。
 
彼とは、Tedx sapporoで出会いました。
 
彼は、挑戦者です。冒険者です。
誰かの意見を鵜呑みにせず、
未知に自分の力で踏み込み、自分で確認する人です。
 
そんな彼を、少しでも支えたくて、
彼の荷物を運搬するソリの開発のお手伝いをさせていただきました。
 
彼は、植松電機で作ったソリに、すべての荷物を載せて、
それを自分の力で引っ張って、南極点を目指して歩いています。
予定では、後二日ほどで、南極点到達のようです。
 
南極点といえば、スコット隊とアムンゼン隊。
国の威信をかけて、南極点を目指した探検隊です。
小さい頃に、伝記を読み、スコット隊の悲劇と、
アムンゼン氏の活躍に感動したのを忘れていません。
探検家に憧れたこともありました。
 
残念ながら、探検家にはなりませんでしたが、
僕らが製作したソリが、いままさに、南極を進んでいます。
 
僕の会社の仲間が、頑張って作ったソリ。
そのソリに命を預けて南極点を目指しているのは、
「荻田泰永」さん。
 
彼のブログでも、とてもうれしい記事が書かれていました。
 
彼は、自ら探検する傍ら、子ども達の可能性を伸ばす活動にも力を入れています。
 
僕と彼は、やり方はちがうけど、
おそらく、同じことをしている気がします。
 
そんな彼が、無事に南極点に到達し、無事に帰ってきてくれることを、心から祈ります。
 
彼が、南極に挑戦できているのは、大勢の人が、彼の可能性を信じて支えているからです。
彼を応援してくれる人が増えたらいいなと、思います。

2018年!

新年明けましておめでとうございます。
北海道は、いきなり気温がプラス。
風の向きも、時々刻々と変化。
雪かきしないですむのはいいけど、
ちょっと不思議な天気です。
 
昨年は、本当に沢山の人に助けていただきました。
その恩は、行動で返します。
 
新年から、植松電機も2人の新メンバーを迎えます。
今年も、昨年以上に、いろんなことができるように
挑戦をしていきたいと思います。
 
人の自信や可能性が奪われない社会を作りたい!
 
今年も宜しくお願いします。
ともに頑張りましょう!

やられたら、やりかえせ!という言葉の恐ろしさ。

やられたら、やりかえせ!
 
と親から教えられた人は、けっこういるかも。
でも、この言葉のおかげで、苦しんでいる人が、たくさんいます。
 
やりかえしたくない人もいるんです。
暴力に、暴力で立ち向かいたくない人もいるんです。
 
そういう人は、
やりかえせない自分を責めてしまうことがあります。
無理して、やり返して、やがて、暴力じゃないと自分を維持できなくなる人もいます。
それを大人になってから、悔いて、自分を責めてしまう人もいます。
 
暴力はいけないことだ。と教えながらも、
暴力には、暴力で立ち向かえ!という指示は、矛盾しています。
昔のSFでは、矛盾するコマンドを与えられたロボットが異常行動を起こすなんてのがあったような気がしますが、
人間も矛盾したコマンドが与えられると、
正しい判断ができなくなる可能性が高いです。
 
やられたら、なぜそうなったのかを考えたほうがいいです。
相手は、なぜそうしたのかな?
自分は、なぜそうされたのかな?
 
そのときに重要なのは、「憶測」で思考をやめないことです。
相手は自分のことを嫌っているんだろう!
と思ったら、「なぜ嫌うのかな?」「なにが嫌なのかな?」は考えた方がいいです。
その上で、「いつからかな?」「なにがきっかけかな?」も考えます。
おおよその目安がついたら、今度は、確かめます。
でも、直に聞くのは不安です。だから、共通の知り合いに相談するのがいいかも。
「〇○と、いまいちうまくいっていないんだけど、なんとかよくしたいんだけど、
相手に直接聞くのが不安だから、どうすればよりよくなるか、ちょっとだけ聞いてもらえないかな?」
てなかんじで。
 
このときに重要なのは、「自分は状態を良くしたい」という目的を持つことです。
自分を嫌う相手を、やっつけたい。負かしたい。見返したい。言い負かしたい。と思ったら、
それは、「やられたら、やりかえせ!」になってしまいます。
 
もちろん、まるで話が通じない相手もいます。
人が苦しんだり、怯えたりすることで、快感をおぼえてしまう人もいます。
相手を見下すことで、自分の自信をたもってる人もいます。
そういう人とは、関係を修復するのは困難です。
でも、そういう人を見極めるのは簡単です。
そういう人は、自分より強い人には媚びへつらいます。
そういう人は、自分より弱い人しか攻撃しないです。
そういう人とは、よいおつきあいをするのは困難なので、距離を保つのも大事かもしれません。
 
やられたら、やりかえせ!は、昔からよく耳にする言葉です。
でも、これは本当は危険な言葉です。
復讐の連鎖を推奨する言葉です。
それが、いい結果を招かないことを知ってる人は沢山いるでしょう。
だから、安易にこの言葉を使わない方がいいです。
子ども達は、親の言葉を、思った以上に真剣に受け止めるのですから。
一生、親の言葉の影響を受けることもあるのですから。
いい言葉も。悪い言葉も。
 

ブラック校則は思考力を奪う

思考力と主体性。
これは、いま、日本で必要とされているものです。
文科省も、これを伸ばそうとしています。
 
しかし、最近話題のブラック校則。
これは、まさに、思考力と主体性を奪うものです。
 
校則の意味を考えようものなら、
「余計なこと考えるな。黙ってきまりに従え!」と怒られます。
これで、思考力が育つわけないです。
 
でも、日本のあちこちには、
校則について、その理由を生徒に考えさせ、
古い校則を変えたり、新しい校則を作っている学校もあります。
そういう学校の生徒の目は、輝いているし、
問題ごとを進んで考えて解決しようとします。
そういう学校が増えたらいいなと思います。
 

命令なんて、〇そ食らえ!(おっと、汚い言葉を使ってしまった。)

僕の会社には、部と課と役職がありません。
なぜなら、命令をする者も、命令を聞く者も、危険だと判断したからです。
 
命令は、決まり切ったことや、想定の範囲内のことをやるときには有効です。
しかし、柔軟性に欠けます。
 
それは、たとえるなら、
ゲームをやりこむと、体や指ががキーの位置などをおぼえます。
すると、考えなくても、反射的にキーを操作できるようになり、スコアが向上します。
おそらく、行動は、繰り返しの練習によって、
「思考」ではなく「脊椎反射」にまでもっていくと、
処理速度が速くなるのだと思います。
しかし、ちがうゲームをやったら、まるでうまくいきません。
という現象に似ているかも知れないと思います。
 
また、命令では、人は100%の力を発揮しません。
「余計なこと考えないで、言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ!」
という言葉で、やる気と情熱がかき立てられるような人は、よほどのM体質だと思います。
 
仕事のモチベーションに関して、3人のレンガ職人というたとえ話があります。
レンガを積んでいる人に、何をしているの?と尋ねたら
1人目:見ての通り、レンガを積んでいる。もっと楽な仕事がしたいよ。
2人目:壁を作っている。この仕事のおかげで家族が食べていける。
3人目:図書館を作ってる。多くの人がここで沢山学ぶんだ。
と答えた、という話です。
「なぜやるのか」「なんのためにやるのか」がわからないと、仕事のモチベーションが上がらないよ、という話だと思います。
だとしたら、
「余計なこと考えないで、言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ!」
なんて言葉では、人の力を引き出すことはできないと思います。
 
僕は、命令ではなく、「相談」と「お願い」と「感謝」でいいと思っています。
「相談」とは、現状を説明し、問題を解決するために、お互いで方法を考える事だと思います。
「お願い」とは、その上で、自分にはできないことを、助けてもらえるように頼むことだと思います。
「感謝」とは、助けてくれた相手に対して、まともな人間なら自動的にすることだと思います。
 
それに対して、
現状もなにも説明せず、命令だけして、感謝もしない。
では、まもなく誰も助けてくれなくなるでしょう。
 
僕は、僕の能力が高くないことを知っています。というか、ひとりでできることは、なんぼ頑張っても1人分でしかありません。
無理して徹夜とかしたら、瞬間的には仕事量は増えるけど、翌日の思考力は半分以下になり、間違った判断をして、逆に仕事を増やしてしまうことを、僕は知っています。
 
だから、僕は、助けを求めます。
だから僕は、僕の会社で働いてくれる人達を、「社員」「従業員」とよばないです。
僕の「仲間」です。「仲間」には、命令しないでしょう。
「仲間」は互いに尊重し合うべきです。
 
でも残念ながら、日本では、学校でも、
「命令の仕方」「命令への従い方」をたたき込まれます。
先輩や先生の言うことは絶対。
命令にはしたがうもの。
校則も絶対。疑問など感じる方がおかしい。
を、本気で教える先生がいます。
それは、命令をするものにとっては、都合のよい仕組みです。
でも、それでは、人は力を発揮できません。
それが、単位労働時間あたりのGDPの低さの原因かも。
 
あの軍人勅諭のなかにさえ、上級のものは、下級のものを軽んじたり、侮ったりしてはいけない。務めて懇ろに取り扱い、慈しみかわいがり、上下一致して事に当たるべし。と書かれています。
(これに関しては、1940年に製作された、西住戦車隊長伝という映画がおもしろいです。
ひたすら部下を大切にしちゃう西住隊長。今の目で見ても、甘すぎるのでは?と思えるほど。
そういう映画が、太平洋戦争直前に、軍の協力のもとで作られたことに驚きを感じますが、いろんな人の本を読むと、日本が戦争に負けはじめてから、やたらに怒鳴り殴る教官が増えたそうです。おそらく、戦争末期、徴兵された若い人達は、そういう無茶な教官にであってしまい、そして、戦争に出る前に戦争が終わって、生き延びた人達が、その間違った教育を、社会に復帰してからも使ってしまったのだろうなあ、と僕は思います。)
 
僕は、「余計なこと考えないで、言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ!」には
断固抵抗します。
僕は、人間として、仲間を尊重します。
相談と、お願いと、感謝で、人はすごい力を発揮できることを、僕は知っています。
 

しらんかった。(facebookの機能)

僕は、2011年からfacebookを使い始めたようです。
 
で、今朝、はじめて、「メッセージリクエスト」という場所を見つけました。
 
おお。そこには、友だちリクエストを送ってくださった方々からのメッセージが。
知らなかった。
 
ということですので、なにとぞよろしくご容赦のほどお願いいたします。