植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

ゴールへのいくつもの道

ゴールにたどり着くには、いくつもの道があります。
その道は、どれを選んでもいいです。
それは、自由に選べるのです。

ロケット教室をしてるとき、
子どもの中には、間違えてしまう子もいます。
僕は、間違えた時は、「やってもうた!」と言って助けを求めるんだよ。と説明していますから、
子ども達がおそるおそる手を挙げて助けを求めてきます。
(さすがに、やってもうた、と言える子はあんまりいない)

そのとき、僕は、心配そうに間違えた部分を手で隠しつつ見せてくれる子に、

大丈夫、大丈夫。
ああ、こう考えてこうなっちゃったのかな?
このままでも飛ばせるけど、こうした方がもっとよくなるよ。
この世には取り返しのつかない失敗はないんだよ。
あ、うそ。あるわ。一つだけ。それは死んじゃうことです。
だから死なないでね。
そりゃいいとして、こうやったら、こうなって、ほら大丈夫。
いや、僕も最初、同じことしたから、なおしかた考えたんだ。
これで、ほかの子が困っていたら助けられるね。

と伝えます。

そしてそれは、相手によって、トラブルによって、変わります。

うちの会社でのロケット教室の時は、
何人もでサポートをします。
だから、人によっては、「そのままでも大丈夫」という人もいるし、「ああ、こうした方がいいよ。」という人もいます。
時々、子ども達のなかに、迷う子がいます。
「さっきの人はこういって、いま、こういわれた。どうすればいいんですか?どっちが正しいんですか?」と。
そういうときは、僕は、「ああ、どっちでもいいよ。」と答えます
すると子どもの中には、困ってしまう人もいます。
そういう子は、きっと、同じようなケースで嫌な思いをしたことがあるのでしょう。

それは、例えば、こんなことです。

何かをしていたら、ある先生に、こうしろ、と言われ、
それをやっていたら、別な先生に、
「おまえ、なにやってんだ!」と怒鳴られ、
「◯◯先生に言われてこうやっています。」と答えたら、
「なんだ・・ブツブツ、いや、こうしないとダメだ。こうしろ!」と怒られ、
しょうがないから、二つ目の指示どおりにやっていたら、
今度は、最初の先生に「なにやってんだ!」と怒られ・・・

これは、僕も経験があります。

こういう目にあうと、自分で考えることができなくなります。
どうしていいのかもわからなくなります。
かかわってしまった自分が不運だったと、後悔します。
そして、再発を防止するためには、
なるべく誰かがやっているとおりにやればいい、になります。

このケースでは、誰が悪いのか?
それは、もう間違いなく、先生です。(このケースではですよ。)
先生のどこが悪いのか?
それは「こうしないとダメだ」という指導です。

ゴールに行くには、いくつもの道があるのに、
「こうしないとダメだ」と言われると、
道が一つになります。
そうすると、考えることができなくなります。

だから、重要なのは、
「こうしたらもっといいかもよ。」です。

誰かが掃除をしていたら、
そのホウキの持ち方や腰つきに「ダメだ」と言うのではなく、
「こうしたらもっといいかもよ。いろいろ試してごらん。」
と言った方がいいと思います。

それは、自分に対してもです。
「こうしないとダメだ」ではなく
「こうしたらもっといいかもよ。」という言葉を
自分に対しても使うといいと思います。

否定ではなく、受容と発展です。

道は一つではありません。
いろんな道を試した方がいいです。