植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「愛」と「働く」は似たようなものかも。

100分で名著という番組での、
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」についてが
終わりました。

とてもおもしろい内容でした。
あらためて本を読むと、以前より理解度が高まる気がします。
(本は言葉がとても堅苦しいので、テレビを見てから、本を読むほうがいいと思います。)

テレビでは、愛の誤解として、
(1)愛してるのに愛されない、と思うのは誤解。
(2)愛するいい相手がいないから愛せない、と思うのは誤解。
(3)興奮を愛の証拠と思うのは、誤解。
というようなことを伝えていました。
これは、精神的な発達が幼稚な場合に生じるそうです。

僕はかねがね、働くって、愛と似ている、と思っていました。
仕事をするとか、会社に就職するとか、
それは、愛ととても似ていると思います。

だから、仕事についても、愛の誤解が成立するかも、
と思いました。
(1)こんなにがんばってるのに評価されない、は誤解。
(2)なかなかいい仕事が見つからない、は誤解。
(3)一時の表面的な興奮で仕事を決めるのは、誤解。
というのは、成り立つかも。
というか、実際、これで困ってる人は多いかも。

愛は、
愛しているから愛する。(愛してほしいから愛するではない)
です。
同様に仕事も、
「ほめてもらえるから働く」
「評価されるために働く」
「賞賛されるために働く」
ではないのだと思います。

また、自分の眼鏡にかなう相手がいないから、愛せない、というのは、実は自分が人を愛する能力がないことに気がついていないということかもしれませんが、
同じように、仕事も、いい仕事が見つからないのは、自分が仕事できる能力がないことに気がついていないからかもしれません。

また、テレビで取り上げられるような有名な会社の、有名なエピソードに感動して、会社を選んでしまう、というのも、
会社の選び方としては間違っているのかもしれないです。
(千葉県にある某有名なテーマパークに行ったことが無いのに、その会社の掃除の仕方に関するエピソードを聞いただけで、そこで働きたい、という人が意外と多いのには驚かされます。)

フロムは、愛するための技術は、
生まれ持つものではない。学ばなければいけない。と言ってますが、
もしかしたら、働くための技術も、学ばなければいけないのかもしれないです。

いま、あらためてフロムの本を読みながら、
これを、「働く」について自分なりに変換してみようと
試みています。成果はぼちぼちここに書いていきます。

人を愛せない人は、いい仕事もできない。
という結論を回避するために、
「働くということ」について学ぶカリキュラムがつくれたらいいなあ。と思います。