植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

自分から奴隷化を求めていないか?

奴隷という仕組みは、かなり大昔のものです。
ギリシャ時代とか。ローマ時代とか。
そして、一度はすたれます。
(奴隷は、個々人を品物や資本として考えるものですが、実はアメリカ以外での奴隷制度の終焉は、生活水準の向上に伴い、生活コストが上昇し、賃金労働者(小作人など)の方が、衣食住や繁殖まで責任を持つ奴隷よりも維持コストが安価になってしまったことが決定的です。)

しかし、数百年後にアメリカで復活します。
それは、綿花のおかげです。
綿花を積む作業の機械化が遅れていたため、
人間の手による作業を、安価に大量に必要としました。
人口の少なかったアメリカでは、奴隷を必要としましたが、
なにせ「安価に」が目標ですから、
古代ローマ時代よりも厳しい扱いで奴隷を酷使することになります。

この厳しい奴隷制度は、さすがに南北戦争後には、
より安価な小作人方式にかわり、
なんと1950年代まで続きます。
それは、やっと綿花を積む作業が機械化されたからです。

機械化できない仕事が、競争相手をもつと、
そこには、人間を安く使う、という仕組みが生まれます。
それは、現在の社会でも健在です。

奴隷制度では、奴隷は主人の資本なので、
主人は健康からなにから、気をつけて維持しないといけません。
奴隷が死んだりしたら、資本が失われて損失になります。
それにはお金がかかります。
だから、自由を与えるかわりに、自己管理を自己責任にしてしまい、働いた分だけを払う時間給賃金労働に変わっていったということは、お金の収支で考えたら、とても妥当です。
でも、ということは、現在の時間給賃金労働という形態は、もしかしたら、奴隷制度以下なのかもしれません。

でも、科学が発達したおかげで、状態は改善されています。
例えば、居酒屋さん。
いまでは、都会の居酒屋では、注文はタッチパネルですね。
注文をしたくても店員さんが来てくれない、という状態は無くなりました。
これで、回転寿しのように、頼んだものが機械で配達されるようになったら、居酒屋さんのコストは一気に低減するでしょう。
そうしたら、劣悪な労働環境は無くなるかも。

でも、南北戦争時代のアメリカでも、
機械化が進んだ北部では、白人さえもが仕事を失い、路頭に迷うようになっていました。
ルーツというドラマを見ていても、
確かに当時の奴隷には、主人の理不尽で過酷な仕打ちがありますが、
でも、日が暮れたら仕事はないし(なにせ電灯が無いから、夜は働けません。)、家族で食事ができて、
誰かが結婚したらみんなで歌って祝い、
豊かではないけど、幸せそうにしています。
朝から晩まで働き詰めの現代人の方が、過酷な人生のように思えます。

人間をより安価に労働させる、という目的の
終着点のような状態が、現在の日本です。
この状態を改善するためには、
現在の労働が求める能力の反対を行けばいいです。

奴隷から解放されるための仕事とは、
機械化できない複雑な仕事。
スキルの蓄積が重要な仕事。
判断を必要とする仕事。

これらは、ロボットや、日替わりの労働力では対応できない仕事です。

でも、考えてみたら、今の人達は、
この「奴隷から解放されるための仕事」を嫌がっていないでしょうか?
そんな難しい仕事は自分には無理です。責任を負えません。
誰かの指示どおりにできる仕事がいいです。

自ら、奴隷化を求めるような思考になっていないでしょうか?

その原因は、責任を避ける生き方を教えることにあります。

教育とは、失敗の避け方や、責任の避け方という、要領のいい生き方のハウツーを教えるためのものではありません。
教育とは、死に至らない程度の失敗を、安全に経験させるためのものです。

さて、僕らは、どちらをやっているでしょう。
我が子に対して、後輩に対して、会社の仲間に対して。

もしかしたら、よかれとおもって、奴隷をつくっているかもしれません。