植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

風化させないために。

震災の記憶を風化させるな。
という言葉を、よく耳にします。

僕はその言葉に、ちょっと違和感を覚えます。
なぜなら、
神戸の震災は?
奥尻津波は?
有珠山の噴火は?
新潟の地震は?
洞爺丸台風は?
原子爆弾は?
太平洋戦争は?
関東大震災は?
と、考えだしたらきりがないです。
どれも、忘れてはならない悲劇です。
(いや、ここにあげたのは、ほんの一部にすぎません。だって、愛する人を不意に失うということは、ほんの一人であっても、それはもう、とてつもない悲しみだから。愛する人を失う悲しみは、人数ではかるものではありません。)

では、風化とはなにか?

僕は、震災直後の社会を忘れません。
街のネオンは暗く、コンビニの看板さえも暗く、
エスカレータも止まりました。(これは、エスカレータを贅沢品と考えているからでしょう。でも本当は、足が不自由な人を助けるための補助装置です。日本は、健常な人の目線でしか考えていない、とっても優しくない社会なんだな、と感じました。)

でも、いまはどうでしょう?
景気が上向き、という政府発表のもと、
バブル期もどうか、と言わんばかりに、
マスコミも消費を盛り上げています。
もはや、節電という言葉は、ほとんど見かけません。
原発の必要性はわかります。
でも、原発論の前に、節電はしてもいいのでは?

また、被災地では、巨大防波堤の建設計画がどんどん進みます。
江戸時代の人が残した石碑より山側に暮らそう、という発想にはならないようです。自然に人間が対抗できる、とまだ思っているようです。

これこそが、風化だと思います。

風化させないために最も重要なことは、
再発を防止するための努力です。
語り継ぐ、とかは、再発防止のための努力の一部にすぎません。

僕は以前から、自動車には、スコップと、防寒用のアルミシートを乗車人数分積んでいます。毛布も防寒着も積んでいます。
もちろん靴は、防水防雪です。土足禁止にはしません。
牽引ロープも、シャックルも、ブースターケーブルも積んでいます。
それは、かつて事故にあった人達の話しから、もしもの事故の時に必要になるであろう、という考えからです。
昨年、北海道では3月に猛吹雪になり、何名もの方が命を落としました。
その事故を風化させないためには、自動車の防寒対策は不可欠なはずです。でも、どれだけの人が対策しているでしょう?

風化させない、というのは、忘れない、ではないのです。
再発を防止するための努力です。
それは、自分が、自分の暮らしの中でできるのです。
それを怠ったとき、また同じ悲劇が起きます。

僕は、子どもの頃、教師による体罰やいじめを経験しています。
働いてからも、会社を経営してからも、様々な問題に出会ってきました。
だから、それらの再発防止の対策をし続けています。
このfacebookの記事は、その再発防止のための対策の備忘録のようなものかもしれません。


だから、僕らは、悲劇を悲しんだり、怒ったり、悔やんだりせず、再発防止のために努力をすべきなのだと思います。
それが、この世を去ってしまった愛する人達への、せめてものむくいなのだと思います。