植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

知ることの喜びを知らない人を増やさないで。

新しいことをやると、
「そんなの見たことが無い」と言われます。
それだけならいいけど、たいていの場合、
つづいて「だから、へん。」「だから、だめ。」が
ついてくることが多いです。

なんでやねん。

と思います。

自分が見たことが無いものは、へんなのか?だめなのか?

でも、こういう人に限って、
もう既に有名になったお菓子とかをゲットして、
「こんなの、みたこともたべたこともない!」なんていう
実に陳腐なほめ方をしがちです。

こういう人は、
知らないことを、ダメだと思いしらされてきた人です。

学校で問題をあてられて、「わかりません。」「知りません。」ち言ったばっかりに、ひどい目にあった経験があるのかも。
または、そういう人を見てしまって、
「ああ、知らないことがあると、大変な目にあうんだな。」と
理解して対処するようになった人かも。

こういう人は、
おまえ、そんなことも知らないの?
おまえ、こんなこともできないの?
いままでなにやってきたの?
を、平気で言います。

でも、自分が知らないことに出会った時は、
「そんなの、知る必要も無いくだらないことだ。」
「そんなの、自分は興味ありません。」
「そんなの、知らなくても生きていけます。」
「そんなの、いみなくね。わけわかんね。」
などと、その対象をバカにし、見下し、安心します。

こういう人は、学べません。成長できません。
これをやりはじめた瞬間のまま、成長が止まっています。
たいていは、中学生くらいのまま止まってる人が多いかな。

これは、この人にとっての処世術です。
これまで、これでうまくやってこれた、と思っているから、
いまさらかえることはできません。
だから、こういう人は、ずーっと、知らないものを
見下し続けます。

でも本当は、知らないことと出会うのは素晴らしいことです。
ヘウレーカ!(見つけた!、わかった!などの意)は、喜びの言葉です。
その喜びを知らないままで生きていくなんて、可哀想です。

だからこそ、誰かが何かを知らなかった時には、
教えてあげればいいのです。
知るチャンスをつくればいいのです。
間違っても、「お前、こんなことも知らないの!?」と
怒ってはいけません。
自分だって知らないことがあるのだから。

ちなみに、教えるのが仕事の人が、「お前、こんなことも知らないの?」を発言するのは、自己否定だと思います。
(前に教えただろ!と言うのもなしです。なぜなら、その教え方が不十分だったから覚えていない可能性も高いのです。)