知ることの喜びを知らない人を増やさないで。
新しいことをやると、
「そんなの見たことが無い」と言われます。
それだけならいいけど、たいていの場合、
つづいて「だから、へん。」「だから、だめ。」が
ついてくることが多いです。
なんでやねん。
と思います。
自分が見たことが無いものは、へんなのか?だめなのか?
でも、こういう人に限って、
もう既に有名になったお菓子とかをゲットして、
「こんなの、みたこともたべたこともない!」なんていう
実に陳腐なほめ方をしがちです。
こういう人は、
知らないことを、ダメだと思いしらされてきた人です。
学校で問題をあてられて、「わかりません。」「知りません。」ち
または、そういう人を見てしまって、
「ああ、知らないことがあると、大変な目にあうんだな。」と
理解して対処するようになった人かも。
こういう人は、
おまえ、そんなことも知らないの?
おまえ、こんなこともできないの?
いままでなにやってきたの?
を、平気で言います。
でも、自分が知らないことに出会った時は、
「そんなの、知る必要も無いくだらないことだ。」
「そんなの、自分は興味ありません。」
「そんなの、知らなくても生きていけます。」
「そんなの、いみなくね。わけわかんね。」
などと、その対象をバカにし、見下し、安心します。
こういう人は、学べません。成長できません。
これをやりはじめた瞬間のまま、成長が止まっています。
たいていは、中学生くらいのまま止まってる人が多いかな。
これは、この人にとっての処世術です。
これまで、これでうまくやってこれた、と思っているから、
いまさらかえることはできません。
だから、こういう人は、ずーっと、知らないものを
見下し続けます。
でも本当は、知らないことと出会うのは素晴らしいことです。
ヘウレーカ!(見つけた!、わかった!などの意)は、喜びの言葉
その喜びを知らないままで生きていくなんて、可哀想です。
だからこそ、誰かが何かを知らなかった時には、
教えてあげればいいのです。
知るチャンスをつくればいいのです。
間違っても、「お前、こんなことも知らないの!?」と
怒ってはいけません。
自分だって知らないことがあるのだから。
ちなみに、教えるのが仕事の人が、「お前、こんなことも知らない
(前に教えただろ!と言うのもなしです。なぜなら、その教え方が