植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

相手の立場になって考えよう

世の中の、困ったこと、悲しいこと、不便なことを改善すると、新しい仕事が生まれます。

学問とは、世の中の問題を解決するためのものです。

ということを、僕は大事に考えています。

僕のところには、いろんな話しがやってきます。
ビジネスの話しもあれば、進路などの個人的な話しもあります。
ほぼすべて、なんらかの「問題」に直面して、
困っている人が相談してくれます。

もちろん、僕自身も困ることもあります。
でも、僕は人に相談しませんでした。
なぜなら、僕の抱えた問題を相談しても、
納得のいく思考をしてくれた大人がいなかったからだと思います。

最も多いのは、
「そんなの問題じゃないよ。それを問題だと思うお前が弱いんだ。そんなのみんながまんしてる。だからお前もがまんしろ。」
でした。
これは、なんの解決にもならないどころか、
困っているお前が悪い、とまで言われています。
ものすごい脱力と絶望の回答です。

いまでも、学校と関わっていると、いろんな問題に出会います。
でも、その対策は、たいていの場合、「様子を見る」で
終わっていることが多いです。
「もうすぐ卒業なんだからがまんしなさい」
「もうすぐ移動だからがまんしなさい」
そりゃ、大人から見れば1年は短いかもしれないけど、
当事者の子どもにとっては、1日もはやく状態を改善したいのに、ただひたすら、時が過ぎるのを待て、と言われます。
これでは、助けられた、という認識は持てないでしょう。

つらい、とか、こまった、というのは、個々人で違います。
それを、相談された人が、自分の尺度で考えるのはおかしいです。
でも、そうする人ばかりだったから、僕は人に相談しなくなりました。

僕は、子ども達とロケット教室をするときや、講演にいく時は、自分の環境を悪くするように気をつけています。
暑い体育館で講演する時、僕の演台の後ろに扇風機をおいてくれる優しい先生もいます。でも僕は、それを止めてしまいます。
なぜなら、僕が涼しいと、子ども達が暑くて具合悪くなることに気がつくことができない可能性があるからです。

自分が満ち足りていると、足りない人の気持ちを理解できません。自分が楽だと、苦しい人の気持ちが理解できません。

でも、じゃあ、つらい経験をしていたら、つらい人の気持ちがわかるのか?というと、そうでもないですね。
「そんなの俺はがまんした。がまんできないお前が悪い。」
というロジックになって、気がついたら、「俺の我慢強さ自慢」を延々と聞かされてしまうケースも多いです。

なぜ、困っている人が、「お前が悪い」と思わされるのかが理解できません。

日本では、犯罪の被害にあった人も、
「戸締まりが不用心だからだ」
「そんな暗い道を一人で歩いたからだ」
などと、「お前が悪い」と言われてしまうケースがあります。
風邪を引いたりしたときも、
悩みが多くて気分が優れない時も、
「根性無し」と言われてしまうケースもあります。
僕は、そういう考え方はきらいです。

大事なのは、
問題を解決するための思考です。
それができる人が増えたら、人に相談しやすい社会になるだろうなあ、と思います。