植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

考え方を知らない子に「自分で考えろ」というのは、ひどすぎます。

子どもの将来のことについて、
「自分の好きなことをやりなさい」
と言う親は多いです。
理解ある、よい親ですね。
そうかな?

子どもが悩んで相談してきたのに、
「あんたの人生なんだから、すきにすればあ。」
と言ってるのと同じです。
それは、子どもの思考力の足しにならないです。

もちろん、「自分の好きなことをやりなさい」の中には、
「お前がやりたいことがあるならば、私は全力でそれを応援し、実現するための支援をするよ。だから、安心して挑戦しなさい。」という意味も入っているのかもしれませんが、
それならば、そうやってしっかり言った方がいいです。

いま、どれほど多くの子が、
「親は、あなたの好きなことをやりなさい」って言ってくれるんだけど・・・と悩んでいるか。

子どもは、どうすればいいのか、何をすればいいのか、
情報が足りなくて困っています。
だから、いろんな選択枝を知りたいのです。
そこに、「好きにすれば」では、情報が増えません。

最近、何をしていいのかわからない。
という人からの相談がとても多いです。
たいてい、けっこう成績がいいです。
へたすると、小学校から受験しています。
でも、その結果、何をしていいのかわからない、に
なってるように感じます。

何をしていいのかわからない、は、
思考をやめたときからはじまります。
思考をやめるのは、やりたいことを、
「できるか」「できないか」で選ばされた時からです。
そこで、心の成長が止まってしまうのです。

「あんた、やったこと無いんだからやめておきなさい」
という言葉は、その最右翼です。

できるか、できないか、で選ばされてしまった子は、自動的に、できることしか選びません。
自分の能力の範囲内からしか、選べないのです。
だから、知らないことや、やったことがないことは、
できなくなってしまいます。

学校で、「この問題、わかる人!」と聞かれます。
この質問からは「わかった人しか手を挙げてはいけない」ということが読み取れます。
わからないひとは、参加することが許されない雰囲気満点です。
むしろ、
「この問題、わからない人」としてから、
「どこで困っているのか教えて?」のほうがいいように思います。

残念ながら、学校では、「できるか」「できないか」で選ばされることがとても多いです。
だからこそ、家庭では、「やりたいか」「すべきか」を考えさせる練習をすべきです。
もちろん、「やりたいか」「すべきか」を考えた場合、
出て来る答えは、やったことがないけどやってみたい、になるはずです。
そのときに、「だったらこうしてみたら?」という、可能にする方法の考え方の練習もできます。

「できるか」「できないか」で選ぶのではなく、
「やりたいか」「すべきか」を考えよう。

と言うと、不思議なことに、
「やりたいか」と「すべきか」のどちらを選べばいいのですか?
と質問されることもあります。
だからさあ、「選ぶ」ではなくて、「考えよう」だってばさ。

夢とは、大好きなことや、やってみたいことです。
そして、いまできないことを追いかけることかもしれません。

何をしていいのかわからずに困っている子には、
その子が、いつからそうなったのかを、一緒に考えるべきです。
そのきっかけとなった年齢に立ち返り、
そこから考え直さないといけません。
小さい頃に好きだったこと。
小さい頃に憧れたこと。
それらを思い出し、それらを、なぜあきらめたのかを考えたら、
きっと、やりたいことが見えて来ると思います。

何をしていいのかわからない。と困ってる子に、
「自分で考えろ!」というのは、とても酷なことです。
考え方をだれも教えてくれないばかりか、
考え方をやめさせるような「選びかた」の教育が行われています。
だからこそ、あらためて、考え方の練習が必要です。