植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

問題を、問題無し、と言ってしまう人達。

僕が違和感を覚える言葉。
それは
「これでも、前よりは、かなりよくなったんです。昔はひどかった。」
です。

特に、学校の先生にこれを言われると、もやっとします。

なぜなら、これは、現状がいまいちな時に、
そのいまいちな状態を正当化するために使われる言葉だからです。

いまから、25年〜30年前、1980年代。昭和50年代。
ちょうど僕らが中学生くらいの時には、
校内暴力というものが流行しました。
しかし、いまの中学校や小学校でおきている問題は、
過去の校内暴力とは違うものです。
それが、「校内暴力がないから問題無し」と
言い切ってしまう先生に出会うたびに、
僕はいらだちをおぼえます。

昔、周囲に暴力を振るう生徒がいました。
しかし、たまにその子がよいことをすると、
先生がやたらにほめるのです。
でも、その子は、ちゃんと悪いことをしているのです。
先生は、それには気がつかない努力をしています。
そういう先生のことを、多くの生徒は軽蔑し、
先生のことを信頼しなくなりました。

いじめにせよ、ストーカー被害にせよ、
だいじなのは、つらい人の心です。
そのつらい状態を改善する努力が必要です。
だのに、それを改善できる立場にある人間が、
自分の感覚で「それはつらくないんじゃない?」
ばかりか、
「それでつらいというのは、君のがまんが足りない。」
なんて言ってしまうこともあります。
いじめの定義をしないで、「いじめはありますか?」なんていうアンケートをとって、「いじめはありません」と言い切る学校もあります。
そういう人は、問題を解決できません。

現状の問題を、過去と比較して、過去よりましだから
問題ありません。とするのは、何もしないことを
正当化するだけのことです。

問題を解決する努力が必要です。
それをしてきたから、人類は進化したのです。
放置してよい問題は無いです。
放置するための言い訳も不要です。
問題は、思考して、対策すべきです。