植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

勉強の大切さ。

勉強なんてしたって、将来なんの役にもたたないよ。
ということを実証してくれる大人は多いです。

かつて、ロボットが普及しておらず、
ほとんどの仕事を人間がしていた時代には、
とりあえず、小学校レベルの国語の能力があれば、
十分に勤まる仕事は沢山ありました。
だから、今の大人の中には、「勉強なんて・・・」と
言えてしまう人が少なくないです。

しかし現代は、ロボット大活躍です。
比較的単純な繰り返し作業現場からは
人間がどんどん排除されています。
最後の砦の食品加工関係も、
愚かな人が毒物を混入したおかげで、
一番信じられないのは人間だということが明確になり、
どんどん自動化が進んでいます。

だから、現代の子ども達には、
勉強の重要性はしっかり伝えるべきです。

ただし、受験対策の勉強は、受験が終わったら、
本当に意味をなさないかもしれません。
だからこそ、学問の本当の意味を伝えないといけません。

例えば高校で習う微分積分
公式を解くことばかりで、
その本質をほとんど伝えていません。
物事の変化や蓄積を数学的にとらえるための手法だということを
もっとしっかり伝えたほうがいいです。

因数分解や、解の公式も、その概念は、
問題事を関係要素に分解して考えるための
思考に役立ちます。
(と僕は思っています。)

英語も、問題を解き、空欄を埋めるものではなく、
自分の気持ちを相手に伝え(表現)、
相手の気持ちを理解するためのものです。
まずは、自分がどう考えるのか?どう思うのか?が重要です。
国語も同じです。

僕は特に歴史が好きでした。
そこには、いい人も、嫌な人もいっぱい出てきます。
それらの人々は、自分のまわりにもいます。
嫌な人にであったときに、どうすべきか?
嫌な人が近づいてきたとき、どんなことが予測できるか?
それは、歴史が教えてくれます。
「ああ、こいつは呂布だな。」とか。
「ああ、こいつは小早川秀秋だな。」とか。
僕は歴史の知識にとても救われています。

知識というものは、人類の苦労の乗り越え方の蓄積です。
学問とは、社会の問題を解決するためのものです。

それを受験対策だけにしてしまうと、
受験から解放された人は、知識や学問の必要性も価値も
見いだせなくなるでしょう。
そしてそれは、間違いなく、近い将来に働くことができない、ということを示してしまいます。(ロボットにまけます。)

子どもに、知識や学問の重要性を説くためには、
大人自身が、知識や学問の重要性を認識していないといけません。