植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

見た目は大人、頭脳は子ども。

違法行為をして、tweetして、捕まる。
というケースがあとをたたないです。

捕まると思っていないのかな?

自分の行為の結果を予測できない人が
増えているように感じられます。

体が大人だけど、心は小学生のようです。

なにが、心の成長を止めてしまうのか?

それは、自分のできることの範囲から未来を選ばされたときかも。

たとえば、受験。
自分の過去の成績と実績で受験の選択肢が決まります。
しかも、大学受験以外は、年齢で区切られているので、
たいていリトライもしにくいです。
人生は、リトライできます。
しかし、小学校受験で浪人とか、中学校受験で浪人とか、
あんまりきかないですね。
だから、かなりの安全率を考慮した上で、できることの範囲から
未来を選ばざるをえないです。
それは、実は、これからの努力や成長をあきらめる行為です。

僕は中学生の時に、
お前の成績では普通高校は無理だから、就職を考えろ。
と進路の先生に言われてしまいます。
中学生の僕は、学校の勉強が嫌いでした。
その結果、僕の人生には、高校進学という選択肢は無いのだ、
と断言されてしまったのです。
その時は絶望しました。
これからがんばります!が通用しないのです。
リトライが許されないのです。
あんまり真剣に考えないでしてきた過去によって、
未来が失われてしまったのです。
(あとから知りましたが、時の校長先生が、救いの手を差し伸べてくださったおかげで、僕は普通高校の受験を許されたのだそうです。それまでは、受験することさえ許されなかったのです。)

いまの子ども達は、かなり早くから進路について考えさせられ、
とくに高校生になると、コース分けがはっきりしているので、
うっかりコースをあやまると、受験資格そのものを失うこともあります。
だから子ども達は、真剣に考えずに、とりあえず大勢が選ぶコースを選んでしまう傾向も見受けられます。

そういう状況におかれた時、
人は、がんばれなくなります。できることしかしたくなくなります。考えたくなくなります。
これからする努力が無価値に思えてしまうかも。

それが、心の成長を止めてしまうことに
つながっているような気がします。

大学生や社会人なのに、心は小学生や中学生、という人を
僕はずいぶん沢山見てきました。
彼らに悪気はないのです。
まったく思考が浅いのです。
それは、彼らのせいではありません。
彼らをそうしてしまうシステムに問題があります。

人生は、本当は自由です。
どの進路を選ぼうが、どの学校を受験しようが、
本当は自由です。
その選択の自由さえもが奪われたとき、心の成長が止まるのかもしれないなあ、と僕は思っています。