植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

人生を有効に使うために。

僕は、小さい頃から、まわりの子とは違う行動をしていたと思います。
それは、今でも変わっていません。
いまでも、石があったらはぐってみたいです。
なぜなら、石の下には、様々な生物がいるからです。

いまでは、普通じゃないことをしていても、
それなりに受け入れられるようになりました。
そうなったのは、マスコミに取り上げられるようになってからかも。と思った時に、またさらに寂しくなりました。
だって、やってることは変わっていないというか、
さらにエスカレートしてるのに、
新聞にのったり、ニュースに出たり程度で、
それに異を唱える人が減っていくということは、
自分で思考していない、受け売りの違和感と憶測だけで
批判する人が如何に多いかを示すことのように思えるからです。
(と、同時に、付和雷同な人が多い社会では、マスコミと仲良くなるということは、とても効果的で重要です。)

組織の中において、その組織の普通ではないことをしたときの、周囲の反応は、とてもひどいものです。
とくにひどいのは、「余計なことをしたら損をする」という意識が蔓延している組織です。
そこでは、あらゆる改善が否定され、改善を試みるものは、
面倒な仕事を増やす面倒なやつ、と見なされて、
徹底的に叩かれます。

また逆に、その組織の「普通」からみて、劣っていると見られた時も、その対応はひどいです。
全体の不振の原因をすべて押し付けられて、
お前がいるからだめなんだ。お前のせいでだめなんだ。
と、ののしられます。
しかし、その人がその組織を離れても、問題はかわりません。
また別の生け贄が作り上げられるだけです。

組織において、「普通じゃない人」は、組織をまとめるための「共通敵」として有効に作用してしまうことがあります。
それを知っている上司がいた場合、その上司は、積極的に「共通敵」を作り出します。
僕は、そういう学校の先生を何人も見ています。
全員の前で、やんわりとその子のことを否定し、その子のおかげで全体が迷惑を被っているかのような誘導をしたら、
思考能力のない人達は、容易にそれに従い、
見事にまとまっていきます。
もちろん、中には違和感を覚える人もいますが、
多くの場合、次の標的にされることを恐れて、
アクションをおこせません。

そのような組織の中で、「普通」ではない行動を起こすことは
とても大変なことです。
僕の経験では、多数の反対勢力に包囲された状態で孤軍奮闘することは、人生の無駄遣いになります。
人生は有限です。その人生の時間を有効に使うためには、
可能性のある場所に時間を投資すべきです。
アスファルトに種籾をまいても、発芽もしません。
種籾を千倍にするためには、よい田が必要です。

自分の人生は、マイナスのエネルギーを打ち消すために使ってしまうと、結局はゼロになってしまいます。
猛烈な逆流の中、船を進めるためにエンジンを吹かし続けていても、ちっとも前に進みません。
下手したら、バックします。
気がついたら、周囲への不満や、愚痴や、恨みがふくれあがり、
やがて自分の努力さえも無駄に思えて、
人間を愛せなくなってしまうこともあります。

組織というものは、本当は、人が力をあわせるためのものです。
力をあわせて、自分たちを守り、発展し、一人ではできないことを成すために、組織は重要です。
しかし、実際には、人が力をあわせて、自分たちを守るためだけに働いてしまうことが多いです。
思考は、面倒だし疲れます。
発展も進化も、面倒だし疲れます。
学習も修練も、面倒だし疲れます。
そんな面倒で疲れることをしないために、
最低限必要なことを繰り返すだけ、という、楽な道を選ぶために
組織が機能してしまったとき、
もうそこには、発展も進化もありません。
(ただし、企業においては、安定したサービスを提供するためには、勝手な発展をおさえなければいけません。でもそれは、個性や思考や発展を阻害し、やがて組織は腐ります。だからこそ、企業は、安定したサービス提供業務と同時に、研究開発業務も並行して行わなければいけないと、僕は思っています。)

理解されない、認められない組織で、がんばり続けると、
人生を浪費してしまいます。
だからこそ、そこから抜け出し、可能性と発展を受容する仲間を探すことはとても大事です。
いまは便利になりました。日本だけではなく、世界でも仲間を探すことができます。
同じく努力し立ち向かう人達ときっと出会えます。
そういう人が力をあわせたら、人生を有効に使えます。

ただし、注意が必要です。
人はやすきについてしまいます。
気がついたら、自分を肯定してくれる仲間探しに終始してしまう可能性もあります。
その組織は、心地よいものでしょうが、
でも実態は、自分が嫌悪した、身内を守るだけの組織と、
そんなにかわりはないでしょう。
それを防ぐための唯一の方法は、自己を乗り越える進化の努力だけかもしれません。

人生は大事に有効に使うべきです。
自分の人生が有効に使えているかどうかの判断は、
自分の進化ではかるしかありません。
去年の自分と、今の自分、何が違うかな?と考えるのです。
進化のために、人生を有効に使うためになら、
組織にとどまらなくてもいいです。
ただし、進化の努力をしないで進化しないことを、「この組織をやめたら進化できるかも。」と思うのは逃避です。

進化のための努力と、それが有効に作用したかどうかのチェックを常にし続け、自分の人生を有効に使える環境を探すことは、
まるで企業の経営のようですね。
人生とは、経営なのかもしれません。