植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

工作が好きだって、いいじゃんよ!

小学生と、中学生では、
モデルロケット製作時に、決定的な差があります。

小学生に、
「きれいにできてるね、素敵だね」と言うと、
隣の席の子や、向いの席の子が、
「この子はね、工作がすごい得意なんだよ。」と
嬉しそうに教えてくれます。
そう言われた子は、ちょっと照れながらも、
「工作が好きなんです。」と答えてくれます。

中学生に、
「きれいにできてるね、素敵だね」と言うと、
近くの席の子は、
「工作は、上手なんだよねえ・・・」
などと、こそこそっと言います。
僕が声をかけた子は、
「工作が得意でもしょうがないんですけどね・・・」と
自重気味に言うことが多いです。

なぜだ!
なぜこうなる!

それは、
「工作なんてできたって、受験に関係ない!」
という指導のおかげです。

最近、企業の入社試験はかなり変化しています。
少なくとも、受験のような筆記試験をする会社は、
かなり少ないでしょう。
会社によっては、工作を入社試験にしているところも
少なくないです。
(工作では、多くのことを知ることができます。やる気や、好奇心や、注意力や、優しさや、おもいやりも、工作でわかります。)
人間は、社会人になります。
おそらく、普通の人が最後にうける試験は、入社試験です。
だのに、どうして、そのずーっと手前の、
会社に入るための手段にすぎない学校への進学のための、
採点しやすい5教科の成績ばかりが重視されるの?

人間には、得手不得手があります。
それを発揮できる場所を探すのが、進路相談です。
だのになぜ、進路相談で、受験に関係のないことは無価値、と
指導してしまうのか?
それは、人の可能性と存在理由を潰す行為です。
それは、殺人と同じほど罪深いです。

数学や、英語など単品だけでできる仕事などありません。
しかし、工作が好きだと、できる仕事はものすごく増えます。
なぜそれに気がつかないのでしょう?

「そんなことできてもねえ・・・」
「そんなことやっても意味ないよね・・・」
自分の知らないことの価値を知ろうとしない人達が、
子ども達の居場所と可能性を奪います。

工作が得意。工作が好き。
成績に関係なくたって、これは、立派な取り柄です。
まもってあげてほしいです。