お前はダメだ、って言うな。
僕は、会社に来てくれた子達をほめます。
いいところを、ほめます。
ささいなことでも、ほめます。
ただし、何もしないことはほめません。
努力と優しさを、ほめます。
しかし、僕がそうやって最後の挨拶をしたあとで、
学校の先生がマイクをとって、
「いま、植松さんは、お前達のことをほめてくれましたが、
先生の目から見たら、全然だめです。
ここがだめです。あそこもダメです。こんなことでは、社会で通用しません。君たちはダメです。」
とおっしゃってくださいました。
最近、民間のお店のトイレに入ると、
「いつも奇麗に使ってくださってありがとうございます」
と書いてあります。
奇麗に使おう、という気持ちがわきます。
しかし公共施設のトイレは
「一歩前へ」「汚すな」と書いてあることが多いような気がします。
この差は、僕と、「ダメだし」先生との違いかも。
「お前らはダメです」と言われたら、
良くする努力をした人は、努力する気がなくなるでしょう。
良くする努力をしなかった人は、「はいはい、どうせダメですよ。いつものことですよ。」と思うでしょう。
「がんばってくれてありがとう。助けてくれてありがとう。」と言われたら、
良くする努力をした人は、もっとがんばるかも。
良くする努力をしなかった人は、「え?あんなんでよかったの?だったら、もうちょっとやってみようかな?」と思えるかも。
僕は、ほめてのばす、は難しいと思っています。
何もしないでいる人をほめたら、何もしなくなります。
でも、少しでも努力をした人をほめたら、伸びます。
例えば、見るからにやんちゃな中学生がいたとします。
そんな彼が、誰かにはさみをとってあげたとします。
そうしたら、それはほめるべきです。
ましてや、ちゃんと刃の方を自分に向けて渡したら、
それはもう「よく気がつくね」とほめるべきです。
もちろん、差別になってはいけませんから、
誰かに何かをしてあげた人は、全員ほめるべきです。
それでも、漏れがあるかもしれないから、
僕は最後にみんなをほめます。
学校って、人の能力を伸ばす場所でしょうか?
それとも、足りないところをダメだしする場所でしょうか?
お前はダメだと、思い知らせる場所でしょうか?
僕は、努力や優しさをほめます。
会社を経営して理解したのです。
経営者にとって、会社の仲間は、家族以上の存在です。
そして、経営者は会社の仲間の人生を背負います。
だからこそ、教育の効果や影響を真剣に考えざるをえません。
卒業がないからこそ、真剣に考えます。
その結果、
僕は、努力や優しさをほめます。
ダメ出しをするのであれば、ほめたあとで、個別にです。
そして、「お前はダメだ」なんていう、みたまんまを
説明してどうすんの?です。
「こういうところが不足だから、こうしてみたら?」という
改善提案が必要です。
改善提案を伴わないダメだしは、状態を悪化させると思います。