植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

責任を避ける=自己存在の否定

昨日は、江差(北の)小学校でロケット教室でした。
往復、9時間運転しました。
(朝はスムーズだったけど、帰りは大変でした。)

よんでくださったのは、以前に、僕を別の小学校でよんでくださった先生でした。
その先生に、嬉しい話しを聞かせていただきました。
僕が訪問した学校に、入学以来、4年間、一度もしゃべらなかった子がいたそうです。
特別支援学級にいたそうです。
でも、ロケット教室のあと、自己表現をするようになり、しゃべるようになり、いまでは中学校で、普通学級でサッカーに熱中する子どもになったそうです。
なにがきっかけだったのかはわからないけど、
ロケット教室のあとに変化があったのは間違いないです。
と教えてくださいました。

それは、嬉しいことです。
でも、同時に、ちょっと不安も覚えました。

たった一度の経験で、良い方向に変わることもあるけど、
同じように、たった一度の経験で、自分を消え去る方向に変わってしまうこともあるのだろう。と恐ろしくなりました。

僕は、毎年、約7万人の子に話しをきいてもらいます。
そのうちの1万人には、ロケットも作ってもらいます。
でも、僕がかかわるのは、ほんの数時間です。
その数時間、必死に気をつけておけば、へんなことを言わないですむと思います。
でも、学校の先生は、毎日子どもと接します。
相当長い時間接します。
その間に、失言や人格否定的なことを、冗談でも言わないように気を付けるのは、相当に大変だろうなあ、と思います。

昔は、「お前は橋の下から拾ってきた」というような軽口を子どもに向かって言ってしまう親が少なくありませんでした。
でも、そんなこと、いまなら考えられないでしょう。
親子の絆を切り捨てる言葉です。
同様に、先生が子どもを見放すような発言を、ほんの一度でもしてしまったら、そこで、先生と子どもの絆も切れてしまうでしょう。

でも、だからこそ、先生は、免許を持ち、そして、給料をもらうのだと思います。
子どもを育成することが仕事です。
僕らが、お客さんに機械を販売したり、修理したりするとき、万が一にもミスが無いように常に気を付けるように、
先生も、子どもとの関わりには、万が一にもミスが無いように、
常に必死で注意すべきなのだと思います。

企業を滅ぼす言葉は、
『そこまでする必要あるの?」
『余計なことしたら損をする」
です。
これはきっと、学校を滅ぼす言葉でもあると思います。

昨日の学校では、普段は、とても依存心が高く、「自分なんて・・・無理だあ・・・」とばかり言っていて、理科の教材の組み立てさえもしたがらない子がいたそうです。
でも、その子は、自分の力でロケットを作るばかりか、ほかの子にロケットの作り方を教えたり助けたりまでしました。
なにが、その違いを生むのか?
そして、どちらがその子の本当の姿なのか?

先生の責任は重いです。
でもそれは、他の仕事と変わりありません。
どんな仕事も、本当は責任は重いです。
それは、自分自身の影響力の現れでもあります。
もし、責任のない仕事があるとしたら、
それは、自分が存在しなくてもいい仕事でしょう。
責任を負わない努力は、
自分自身の存在を否定する努力でもある、ということを、
僕らは覚悟する必要があるのだと思います。

僕も、自分の言葉と行動の責任を、今まで以上に
覚悟していきたいと思います。