植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

戦争を防ぐためには

第一次世界大戦から100年ということで、
様々な特集番組が放送されています。

ん?されていない?
ああ、そうですね。地上波では放送はないかもね。
有料放送では、沢山特集が組まれていますよ。

興味深いのは、
第一次世界大戦では、戦争をやめようという市民活動によって、
戦争が中断されているケースがあるということです。
クリスマスには、前線では敵対し合う両軍が戦闘を数日間やめてしまったケースもあるそうです。
ドイツが降伏したのも、軍隊が戦争をやめようと反乱を起こしたのがきっかけです。
個々人の力が、国家の力に打ち勝っています。

でも、第二次世界大戦では、
最後の最後まで戦ってしまい、悲劇になっているケースが目につきます。特にドイツと日本。
なぜ、反対の声は上がらなかったのでしょう?

反対の声が上がったけど、それをゲシュタポ憲兵が弾圧したからだ、という意見もあるかと思いますが、
ゲシュタポ憲兵も人間です。その人達も戦争の被害を受けています。
彼らはなぜ、戦争に反対できなかったのか?

僕はそこに、今の学校の様子を重ねて考えてしまいます。
自分の意見を言えない、言わない。
意見をすると、否定される、反論される。
空気を読んで、波風を立てないように・・・

以前、新聞に、第二次世界大戦時にドイツで暮らしていた人の文章が載っていました。

ナチス共産主義者が弾圧したとき、
私は共産主義者ではなかったので声をあげなかった。
ナチス社会主義者を弾圧したとき、
私は社会主義者ではなかったので声をあげなかった。
ナチスユダヤ人を弾圧したとき、
私はユダヤ人ではなかったので声をあげなかった。
ナチスが私に襲いかかったとき、
私のために声をあげてくれる人は誰もいなかった。

自分にはカンケーネー。
関わり合うとめんどうなことになるよ。

本当は自分に関係あることなのに、
それを無関係だと思い込むことで、
遠ざけた気持ちになるような対処の仕方を身につけていると、
もしかしたら、戦争さえも防ぐことはできないのかも。

そしてそれを身につけてしまうのは、
学校というシステムの中でなのかもしれないと、
僕は感じています。

学校の先生は、戦争や武器を嫌います。
それは悪いことではありません。
しかし、子ども達の思考力や、表現力を摘み取ると、
その子達は、戦争を防げない人になります。
もしも、本当に戦争をなくしたいと思うのであれば、
子ども達の思考力や表現力を奪わずに伸ばすべきです。

どんな意見も尊重すべきです。
どんな意見も評論しなくていいです。
どんな意見も否定しなくていいです。
それが言論の自由です。
自分がそうは思わない、という意見を耳にした時には、
自分ならこうする、という自分の意見を発表すればいいだけです。

そうすれば、戦争を防げるかもしれないし、戦争がおきても、終わらせることができるかもしれない、と僕は思います。