評論より行動
学校で問題がおきると、
その問題に対応するために
きまりができることがあります。
しかし、それは、たいていの場合、
まともな人達がやりにくくなる方向に作用します。
なにせ、どんなきまりも、
効果を発揮するのは、きまりを守る人達に対してだけです。
きまりをまもるつもりのない人には、
どんなきまりも意味を持ちません。
その結果、いま、学校では、PTA活動もやりにくくなり、
人と人との関係が、作りにくくなっているケースもあります。
また、それらのきまりは、たいていの場合、
やらない言い訳として、とても有効に作用します。
めんどくさがりの人にとっては、とてもいい、
やらない言い訳になります。
僕の会社も、時々、へんな人と関わってしまうことがあります。
でも、それに対する全体的なきまりごとは作りません。
そういうことがおきたときに、どう対処したらいいか、だけを考え
特異な一人のために、全体がマイナスの影響を受けるのは
全体としては損失です。
また、特異な一人を引き合いに出して、
社会のまとまりを破壊するのも非効率的です。
だから、基本的には、僕は性善説です。
ほとんどは、いい人です。
ただし、たまに、変な人もいます。
でも、それはそれです。
全体を変な人だと考えてしまったら、
もうそこには、コミニュケーションは成り立たないです。
社会も不成立です。
子ども達を暴力から守るためのCAPでは、不審者対策として、
(1)近づかなくても話しはできる。(安全な距離を保とう)
(2)知らない人には、名前などをいわなくていい。
と、子ども達に伝えています。
「知らない人とはなしをしてはいけない。」ではないのです。
社会を維持するために、犯罪を防止することはとても大事です。
でも、その対策のために、
人間が関わり合えなくなるのは本末転倒です。
特異な一例に目をとらわれないほうがいいです。
特異な一例は、特異な対応をすればいいだけです。
人間の人生には限りがあります。
その限られた人生を有効につかうことが大事です。
犯罪に限らず、景気の悪さを政治や国家のせいにしてしまう人も時
いまから政治家になるために活動をしたとしても、
実際に政治家になれるのかも、一政治家が政治で景気を回復できる
そんな不確定なことに人生を費やすのはもったいないです。
問題を解決するためには、
「なんでだろう?」
「だったらこうしてみたら?」
が有効です。
まずは、自分なりにできることをする。
その行動があれば、
飲み屋で口角に泡を飛ばして
現状のデーターだけをならべて
政治や教育や警察の批判だけをするような
おっさんにならないですむと思います。