植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

自信のない人の行動は悲しい。

僕は、夢とは、やってみたいこと、だと思っています。

だから僕には夢が沢山あります。

でも、こう言うと、
「そんなのはきれいごとだ。現実を見ろ。こっちは食っていくだけで精一杯なんだ。」と言われてしまうことが少なくないです。

いやいや、昔からあるじゃないですか、
「なぜばなる。なさねばならぬ何事も。なさぬは人のなさぬなりけり。」って。なんて言おうものなら、

「それは間違いです。やってもできないことは現実にあります。そして、なんでもやっていいのならば、人を殺してもいいってことですか?やればいいってもんじゃないです。」と反論されます。

「えー?」としか思えません。
上杉鷹山の言葉に限らず、多くの言葉は、自分の支えとして、自分で自分のために使うものです。
だからこそ、相反する意味の言葉を、僕らは場面に応じて使い分けます。どの言葉が正しくて、どの言葉が間違っているなんてことはないです。
でも最近、なんでも「正しい」か「間違い」かで考えたがる人も多いです。
そして、どんな言葉も100%の条件には適応できないため、
どんな言葉も、「ほらね、間違ってる」になります。

なんでこんなことになるのか?

僕は、夢を追いかけると、やったことがないことをやることになるから、成長できるし、自信が持てると思っています。
(人はできなかったことができるようになると、成長できるし、自信が持てる。と思います。)

そして、自信があると、受容力が増えます。優しくなれます。
なぜなら、自信が無いと、今の自信をこれ以上失わないために、
自分を守ろうとして、
(1)人と関わりたくなくなる。
(2)人に自分の内面や気持ちを見せたくなくなる。
(3)やったことがないことができなくなる。(失敗したくない)
(4)考えたくなくなる(失敗したくない)
(5)自分の知らないことを否定するようになる。
   (知る必要もない。知らなくても生きていける。など)
もしくは、自信を得るために、
(6)自信をお金で買うようになる。
(7)自慢するようになる。
(8)人を見下し、自分以下を作ろうとする。
(9)他人の努力を否定し、邪魔をする。
という行動をとりがちだからです。

自信が無い人は、自動的に、やったことがないことをやりたくなくなります。
他人が認めることや、他人が評価することで、失敗しないで手に入ることしかできなくなります。(お金で買う)
これでは、やったことがないことができませんから、
自信は増えません。そして、夢も追いかけられません。
だから、自信が無い人は、
ほかの人の自信が不愉快です。
ほかの人の夢が不愉快です。
だから、自信を「うぬぼれ」というようになります。
そして、夢を追う人を「余裕あっていいね」などと、
あたかも悪いことをしてるかのように誹謗します。

ということで、
自信をなくした人にとっては、
「僕には夢があります」なんて発言は、
「きれいごというな。こっちは、食ってくだけで精一杯なんだよ!」と言いたくなってしまうのかもしれません。

そういう自信をなくした人は、ネット上を探しまわって、
腑に落ちない言葉があると、それを
「間違っている」「そうとは限らない」と否定したくなるのかもしれません。
でも、そもそも思考や言葉は、あいまいであやふやです。
それを正しいか、間違いか、などとジャッジする必要はありません。

僕は思います。
他人の言葉をきっかけに、それにからむのではなく、
主張したいことがあれば、自分のサイトでやれ!
ってね。

人間には、自信が必要です。
その自信が奪われるのはいつなんだろう。と僕は考えます。
だから、子ども達に話しをします。
やったことがない人の教える、根拠のないできない理由に負けないようにと。そして、根拠のない誹謗に負けないようにと。
いまでは、年間に7万人の子達が話しを聞いてくれます。
彼らがいつか、優しい社会を作ってくれるかもしれません。