植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

このよにくだらない質問は無い!讃えるべきは質問した人の勇気です。

僕は、いろんなところでお話をします。
時には、質疑応答の時間をとっていただけることもあります。
それは、嬉しいことです。
講演で伝えきれなかったことを補足できます。

でも、質問のとき、たいていついてくる枕詞は、
「こんな変な質問で・・・」
「おかしなことを聞いてるかもしれませんが・・・」
「くだらない質問なんですが・・・」
です。

この世に、くだらない質問はありません。
どんな質問も、知りたい、ということの現れですから、
すばらしい行為です。
僕は、知っている限りのことや、考えた限りのことを答えます。
でも、僕も不安があるから、必ず聞いてしまいます。
「こんな答えでよかったかな?知りたいことはわかったかな?」と。
質問してくれた人は、にっこりしてくれます。ほっとします。

なぜ、自分の質問を「くだらないことを聞いて申し訳ありません。」と思ってしまうのか?
それは、過去に、質問を「くだらない」と言われたからだと思います。

知りたいから質問したのに、
「そんなことも知らないのぉ?(非常識なやつだなあ)」
「くだらないことを聞くんじゃない。何の意味があるんだ!」
「いまその質問関係ないでしょ!」
「さっき説明しただろ!なんでこんなこともわからないんだ!」
などと否定されてしまうと、
もう、怖くて質問できなくなります。

でも、間違いなく言えるのは、
こういう言い方をする人達は、たいてい、質問に答えられないのです。考えてもいないことを聞かれたのです。
だから、頭の中には「わからない」という文字がよぎります。
そして、それは「恥」だと思い込んでいるのです。
なぜなら、その人達もまた、質問を、同じように否定されたからです。
その結果、「わからない」ことが恥ずかしいから、
(1)自分のことを棚に上げて、知らないという人をバカにする。
(2)そんな質問、考える必要も無いことだ。と否定する。
という対応をします。

また、自分が教えたことが伝わっていないことに腹を立てる人もいます。
自分の教え方が足りなかった、とは思いません。
だから、教えたのに覚えていないお前が悪い。と言ってしまいます。

また、想定外のことにとても弱い人もいます。
そういう人は、想定外の質問にとまどいます。
そして、その質問はいま関係ない!と否定します。
でも、もし本当にそうであったとしても、
質問をするという行為を大切にすべきです。
だからこそ、「それはおもしろい考え方だね。後から一緒に考えよう。」といって、今すべきことをする軌道修正も大事です。
(もちろん、あとからちゃんと考えるべきです。)

社内においても、質問を否定する人がいると、
質問した人は、伸びなくなります。
質問しなくなります。
それは、会社に取っての損失になります。
質問を否定する人は、会社に損失を与える人ですから、
企業としては、そういう人は雇用しておかない方がいいです。
僕なら、そういう人には、やめてもらいます。

「そんなこともしらないのぉ?」なんて言って、仲間をバカにしている暇があったら、教えればいいのです。仲間を高めればいいのです。
実は、仲間を高めたくない人は、自分が楽をしたい人です。
ほかの人が成長すると、自分が下になりかねません。
そういう人は、教えません。出し惜しみをします。
でも、そういう人もまた、会社に取っては損失を与える人です。

質問された時に、自分がわからなければ、「わからない」と言えばいいのです。そして、一緒に調べればいいのです。
考えていなければ「なるほどね、たしかにね。」と、一緒に考えればいいのです。

僕は、勇気を出してしてくれる「質問」は、とても大事だと思っています。それは、絶対に潰してはならない好奇心の芽です。
僕は、好奇心の芽を潰すような人間を軽蔑します。

おそれずに、質問をしてください。
この世に、くだらない質問はありません。
その質問を否定する人や、見下す人は、それまでの人です。
否定され、見下された自分を責めないでください。
質問をするということは、勇気が必要なことです。とても素晴らしいことです。
大事なことは、一度の質問を否定されたからといって、あきらめないことです。
それに答えてくれる人が、仲間になるべき人です。
そういう人に出会えるまで、質問し続けたらいいです。

そして、質問された人は、今時分は試されているんだ、と
覚悟した方がいいです。
その質問に、どんな態度で答えるかで、自分の人格が見えてくるのです。