植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

カリスマを求める人は、責任を負いたくない人かも。

今朝、テレビを見ていたら、アンネの追憶、という映画をやっていました。

アンネの日記に描かれていない部分を推測して作られた
ある意味、フィクションの映画です。

とても悲しくて恐ろしい映画でした。

なぜ、抵抗できない子どもやお年寄りを、
平然と殺すことができるのかなあと思います。
自分の子どもや家族の顔は思い浮かばないのでしょうか?


僕は、会社を経営してみて、リーダーシップについて悩んだことがあります。
笛吹けど踊らず。という言葉が、何度も心をダークサイドに落とし込みます。
自分のカリスマの無さに、絶望的になったこともあります。
指導力と強制力を間違えたりもしました。

でも、たくさん考えて、出した答えは、
リーダーシップとは、読んで字のまんま。ということです。

リーダーは、カリスマでも指導者でもありません。
リーダーは、リードする人です。
すべきと思ったことを、率先して実行する人です。

カリスマや、指導者を必要とするのはだれか?を考えました。
それは、思考したくない人、責任を負いたくない人でした。
そういう人達は、自分で考えたくありません。
誰かの言うとおりにしたいです。
でも、その結果、思考は画一化されていきます。
そして、独裁者を生み出します。

いままで、いろんなドキュメントを見てきましたし、
昔は、戦争に行った人の話しもたくさん聞きました。
その結果、なんとなく感じているのは、
戦争時に、民間人に暴力を働いた人達の多くは、
「指示に従っただけです。」と言う傾向が強いように感じます。
それは、自分の行動の責任を誰かに押し付けてるの?
それとも、本当に無思考なの?

思考は、とても大事です。
「なぜ?」を常に考えるべきです。
それができない人を増やしてしまうと、もしかしたら、
社会は、とても恐ろしい状態になるのかもしれません。

指示されたことを、指示されたとおりにやりたいです。
自分で考えるのは嫌です。
なぜならば、自分で考えたら、責任を負うじゃないですか。
と言う台詞を、僕は何度も聞いています。
こういう人達が、その後どうなったのかを、僕は知りません。
ただ、どこかの国で行われた実験によると、
ある老人施設で、二つのグループを作り、
片方には、基本的に、
(1)今日は何をするのか考えましょう
と接し、もう片方には、
(2)今日はこれをします。
と指示を与え続けた結果、
(2)のグループは、痴ほうも進み、寿命も短くなった、
という結果になったそうです。(現代なら許されない実験かも)
まあ、僕がした実験ではないので、本当かどうかはわかりませんが、
僕のおばあちゃんも、施設に入って、「あれをしろ」「これをしろ」「あれをするな」「これをするな」と指示され続けて、痴ほうが一気に進んでしまいました。
家につれてきて、最後は家で看取りましたが、あの凛としたおばあちゃんが、壊れているのを見るのは悲しかったです。
でも、家で過ごしているうちに、ちゃんと、いろんなことを思い出してくれたのが、救いだったような気がします。

人間には考える力が必要です。
そして、考える力を育てるために、最も大事なのは、
考えさせた結果がまずいことになった場合、
そのリカバリーを助け、リトライのチャンスを作ることです。
それができるのが、人生の先輩です。年長者です。上司です。保護者です。先生です。

そういう人達は、くれぐれも、自分に責任が来ないように保身に走るようなことはしないで欲しいと思います。