優しい社会を作るために、「優しいねえ。ありがとう。」と言おう。
僕はいろんな学校で講演をしたり、ロケット教室をしたりします。
そこで出会う子ども達を、僕は見つめています。
優しい子もいます。気がつく子もいます。
そういう子にであった時、僕は褒めます。
「良く気がつくね。すごいね。優しいね。ありがとう。」
「良くたすけてあげたね。すごいね。優しいね。ありがとう。」
褒められた子は、照れくさそうにしますが、嬉しそうです。
でも、気をつけなければいけないことがあります。
それは、褒められなかった子が、褒められた子を見つめる視線です。
「けっ!」「いいかっこしぃが!」
そういう状況を作らないために、褒め方も気を付ける必要があります。
でも、そもそも、なぜ、褒められた人をけなさないといけないのか?
それは、自分が褒められたいのに褒められないからではないかなと思います。
自分も注目されたい。褒められたい。でも、そうならないから、
「自分なんて」と最初から自分を低く表現し、
「褒める」という行為をマイナスのことであるかのように否定してしまいます。
でも、根底にあるのは、褒められたい、注目されたい、認められたい、だと思います。
もしかしたら、小さい頃に、褒められたい、注目されたい、認められたい、という欲求を満たされなかった人が、他人が褒められることを悪く言うようになってしまうのかもしれません。
お兄ちゃんと比べられる。
お姉ちゃんと比べられる。
お前なんて、と言われる。
よかれと思ってやったことが理解されずに怒られる。
それは、とても悲しい経験です。
僕は、幼稚園に行く前に、おじいちゃんやおばあちゃんに、
「努は優しい子だねえ。」とたくさん言われました。
僕は、それが嬉しかったです。
でも、幼稚園に行くと、嫌なこともたくさん経験し、
暴力には暴力で立ち向かわないといけないと思ったこともありました。でも、「努は優しい子だねえ」という言葉が、心の中で僕にブレーキをかけたような気がします。
そしてそれは、いまもきっとそうです。
僕は、おじいちゃんやおばあちゃんの期待に応えたいと、
今でも思っています。
だから、僕は、子ども達に、「優しいねえ」と言います。
それが、いつか、暴力をふるいそうになる手を止めるかもしれません。
優しいは、優れるです。
世の中が、優しい人で満ちあふれたら嬉しいです。
そのためにも、一生懸命に、「優しいねえ。ありがとう。」と
声をかけ続けていきたいと思います。