植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

謙虚と謙遜は美徳とは限らない

僕は、いろんな人からプレゼントをもらいます。

でもそのとき、「つまらないものですが」と
言われたことが無いです。

「これ、喜ぶかとおもって・・・」
「これ、好きそうだなとおもって・・・」

みんな笑顔で嬉しそうにくれます。
僕も、僕を思ってくれたことが嬉しくて、
ますます嬉しくなります。

さて、この人達は、日本人特有の「謙虚」「謙遜」という
美徳を持ち合わせない人でしょうか?



僕が小学生の頃に、潜水艦を作りたい、と言ったら、
先生は、そんなもん作れるわけが無い、といいました。

僕は、昔の人が作れたのだから、今の自分もがんばれば作れるはず、と思いましたが、
先生は「あれは、特別な人だからできたのだ。普通の人である我々には、そんなことは無理だ」と説明してくれました。

さてこれは、奥ゆかしき日本人の特徴である謙虚や謙遜でしょうか?



僕が講演をしたときも、大人や経営者向けの講演の場合にかぎって、
懇親会で言われます。
「とはいうけどさあ、あなたは特別だからできたんですよ。私たちは普通だから無理です。」と。
もう、脱力します。
なんのために、時間をかけてここまできて、時間をかけてしゃべったのか?

これも、奥ゆかしき日本人の特徴である謙虚や謙遜でしょうか?



謙虚や謙遜は、悪いものではありません。
でも、自分を卑下しなくても、相手を尊重することは可能です。

自分への謙遜は、つきつめると自己否定になってしまう可能性があります。
それは、もしかしたら、日本人の自己肯定感の低さに
つながってしまっているかもしれません。


「かわいいね」と言われたとき、
必死になって、そんなこと無い、と否定する人もいます。
でも、その否定は、相手を傷つけていることもあります。
それとも、相手は、悪意を持って「かわいいね」と言っていると思うのですか?それこそ、悪意があると思われた相手が可哀想です。

だからこそ、そんなときは、
「ありがとう、てれちゃうな」とか、言えばいいと思います。


謙虚や謙遜が、
もしも、褒めることや褒められることを、やりにくくするのならば、
なくてもいいのではないかと、僕は思います。


(と書くと、この3行の、真ん中の1行だけ読み飛ばして、大騒ぎする人もいるような気がしますが、そういう文書読解力の乏しい人を見つけるためのトラップとして、あえて残します。)