植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

代替エネルギー開発よりも、省エネしたら?

いま、代替エネルギーの研究が盛んです。
水素燃料の研究も盛んです。

でも、過去のエネルギーの進歩は、ひたすらに、
密度向上の進歩だったように思います。

エネルギーを考えるとき、それをどうやってためておくのか、
というのは、ものすごく重要な課題です。
でも、それを忘れているひとも少なくないです。

昔、燃料に頼らなかった時代。
人類は、風の力で世界を移動します。
実は、この時代に、人類は地球のほぼすべての領域に到達します。
帆船は、食料と水さえ補給できれば、どこまででもいけました。

その次に、蒸気機関の時代がやってきます。
ここで、人類の移動範囲は、急激に縮まります。
木材を燃やすなんて問題外です。
木材は、エネルギー密度が低く、船の中を全部木材で満たしても、
あっというまに燃やし終わってしまいます。
その時に救いになったのが石炭です。
石炭は、木材を凝縮したようなものですから、
石炭を積み込む体積が少なくてすみました。
でも、帆船から見たら、ぜんぜん航続距離が短いのです。
おまけに、石炭は、補給できる場所も少ない。
人類の移動範囲は、石炭採掘場から、離れられなくなります。
(ちょうどこの頃が、日本の鎖国の時代です。日本の鎖国が守られたのは、日本に到達できる移動手段が少なかったからとも言えます。)

でも、石油の方が、石炭よりも遥かにエネルギー密度が高いです。
おまけに、液体は輸送や供給も容易です。
ということで、1910年頃には、どんどん石油が船の燃料として使用されます。
もちろん、第二次世界大戦の頃には、石炭は船の燃料としてはほとんど使われなくなります。
(固定設備でなら使用できましたが、それでも、貯蔵スペースの大きさと、供給が大変なんで、どんどん使用は減っていきます。)

つぎにやってきたのは、原子力です。
原子力発電所といっても、やってることは、火力発電所とかわりありません。水を沸騰させて、蒸気を作って、タービンをまわして発電しているだけです。水を沸騰させる熱源が、原子力だというだけのことです。
原子力の最大の魅力は、エネルギー密度の高さです。
一度燃料を補給したら、かなり長期間、再補給が不要なほどです。

で、いま、代替エネルギーの研究が行われていますが、
そのエネルギー密度が、せめて、石油くらいにならないと、
実用化は困難だと思います。

脚光を浴びる水素も、エネルギー密度はとても低いです。
同じエネルギーを取り出すためには、石油の数倍の体積を必要としてしまうとも言われています。
しかも、常温常圧で液体ではない、というのもつらいです。
気体のままで貯蔵しようとすると、圧力に耐える容器のコストが尋常ではありません。(その容器の大きさは、石油の数倍)
液体で貯蔵しようとすると、極低温を作り出すために、
エネルギーが必要になります。

太陽光発電も、風力発電も、同じく、エネルギーの密度が高くありません。しかも、現在の装置寿命では、自身を製造するために使用するエネルギーを、自身は生涯をかけても発生できないとも言われています。
更なる装置寿命の向上が不可欠です。
(でもそれは、装置を販売する人にとってはつらい話しでしょう。)
(さらには、電力会社がそれらの電力受け取り拒否したりしてますから、この分野の成長は厳しいかも。先進地のドイツでも様々な問題が噴出しているそうです。)

ニューエネルギーの研究に努力している方々もいますが、
物理の世界では、なかなか奇跡は起きません。
僕のところにも、数多くのニューエネルギーの話しが持ち込まれますが、大きくわけると二つです。
(1)こういうアイデアに出資しませんか?
(2)こういう装置を作ってみましたから、実用化できませんか?
まあ、(1)は問題外ですね。こういう人に、ニューエネルギーの詳細を聞いても、まったく答えてくれません。販売権がいくらで、それを誰かに販売すると、売り上げの80%をあなたのバックマージンにしますから、何人に売るだけで、最初の投資を回収できます。という話しばかりです。まったく興味ありませーん。
(2)は、素晴らしいです。そういう人は大好きです。
でも、残念ながら、電圧は生じていても、電流が取り出せたことが無いです。
もちろん、ニューエネルギーの可能性はゼロではありません。
でも、ニューエネルギーを開発するためには、物理の知識と、ものづくりの能力の、両方が不可欠だと思います。

と、ここまで、ごく一般的な話しを書いてきましたが、
原子力という究極にエネルギー密度が高いものを知ってしまった人類は、エネルギー密度が低いエネルギーに戻るのは難しいかもしれません。

だからこそ、ほんとうにすべきは、省エネだと思います。

震災の後、街は真っ暗でした。
コンビニの看板も消えていました。
エスカレーターや動く歩道までもが止まっていたのにはあきれました。なぜなら、あれは、歩行が困難な人のためのものであって、贅沢品ではないからです。
ぼくはそのとき、日本国は、体が不自由な人のことをちゃんと考えられない国なんだなと思い、悲しくなりました。

でもいまは、電気代が高騰していて大騒ぎしているわりには、
街のネオンは明るいです。
なんでかな?と思います。

無人島に漂着したとします。
おそらく、節約した方が長生きできます。
しかし、現在の社会は、浪費しないと経済が成立しません。
その経済システムは、正しくないような気がします。

アメリカは、第一次世界大戦時に、膨大にふくれあがった戦時生産能力をソフトランディングさせることに失敗し、大恐慌を引き起こします。
しかし第二次世界大戦後は、世界の多くの国が、市街地での戦いを経験したため、街が破壊され尽くしていました。その戦後復興特需が、膨大にふくれあがった戦時生産能力を受け止めてしまいます。
日本もまた、戦後復興特需で、新しい仕事が大量に生まれ成長します。
でも、戦後復興が終わってしまったら、世界中で、生産能力が過剰になってしまいました。
いま、世界は、その莫大な生産能力を押し付けられて喘いでいます。

そろそろ、僕らは、常識だと思っている現在の経済システム以外の経済システムも考えるべきだと思います。
消費に依存しない経済システムです。

僕は、電気機械の製造業として、なるべく壊れないものを作る努力をしています。それが、僕にできる現在の消費依存経済システムへの精一杯の反抗です。
いかに少ない電力で磁力を得るかを研究しでマグネットを作っています。ただ、マグネットは、電気を食わせば間違いなく強くなります。
お客さんからは、もっと強く、と求められることもあります。
でも、理解してくれるお客さんもいます。そういうお客さんのおかげで、僕らのマグネットは、広がっていっています。

ふくれあがった生産能力を、一番簡単に吸収してくれるのは、破壊です。世界がまちがっても、破壊なんていう道を選ばないようにも、
僕らは、新しい経済システムを、真剣に考えた方がいいと思います。
消費に依存しない経済システムは、戦争を防ぐかもしれません。
地域通貨をはじめとした、様々なトライアルが行われていますから、ぜひ、調べて、考えてみてほしいです。)