植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

ウォーキングデッドとか、寄生獣とか。

ウォーキングデッドのシーズン5がはじまりました。
なんでも、全米での視聴率はそうとう高いそうです。
そして、あの、岩明均さんの「寄生獣」のアニメもはじまりました。

どちらも、とても深いお話で、考えさせられるので、好きです。
だから、僕としては歓迎です。

でも、どちらも、とても残酷です。
それが、流行するのは、ちょっと心配でもあります。

僕は、中学生の頃かな、ジョージ・A・ロメロのゾンビを見て、
ものすごくショックを受けました。
そして、ゾンビとの戦い方を、かなり真剣に考えます。
しかし、自分の家族がゾンビになってしまったら、
自分は、そのゾンビをやっつけることができない、と思いました。
何日も眠れない夜を過ごしました。
本当に怖かったし、悲しかったです。

僕は、中学生の頃は、学校でかなりストレス環境にあったと思います。
そのとき、僕は、エアガンで、チラシなどのアイドルの写真などをマトにして撃つことができていました。
でも、いま思い返しても、それは、怖いことです。
いまは、イラストといえども、人間の顔が認識できるようなマトには、銃口を向けるのができません。

人間の中には、残酷な原始の脳みそと、優しい社会性の脳みそがあるような気がします。
そして、ストレスや、理不尽な圧力は、人間の優しさを押しつぶしてしまい、もしかしたら、残酷な部分が強くなってしまうかもしれません。

ウォーキングデッドのシーズン5の第一話のタイトルは、「食うか食われるか」でした。文字通りです。
ゾンビだらけの世界で、食料に困った人達が、人間を食べるようになってしまいます。でも、そうなってしまった人達も、最初は優しい普通の人でしたが、別な人間から理不尽で残酷な暴力を受けてしまい、優しさを捨てて、生きていくためにはしょうがないと、人間をだましてつかまえて食べるようになってしまいます。

僕は、ビジネスにおいても、生きていくことに関しても、
「食っていくためにはしょうがない」と思ったら負けだと思っています。
「食っていくためにはしょうがない」という思考は、
ものすごくfor meな思考です。
自分のためなら、他人をやっつけてもしょうがない、という思考になってしまう可能性があります。
大勢が、その思考になってしまったら、社会は、奪い合う社会になってしまうような気がします。

僕は、残酷な映画やアニメが、人を残酷にするとは限らないと思います。
でも、残酷な映画やアニメを求める社会は、もしかしたら、なにか悲しいシグナルを出しているような気もします。

できれば、優しくて暖かなアニメや映画も同様に流行ってほしいなあ、と思います。(ハウス食品のアニメシリーズとかね。)

って、ぼんやりと思いました。
思考途中だから、まとまりがないなあ。