植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

愛と幸せの話しは、うまくいったのかなあ・・・不安です。

無事に帰ってきました。
出来はどうだったのか・・・自分でも悩みます。
あわてて作っているので、
重複しすぎている部分が多かったなあ、と思いました。

基本的には、
愛は本能ではなく、人間関係です。
証拠を求める愛は、利己的な愛です。
愛の証拠は、束縛になります。そして、束縛は暴力です。
利己的な愛を生み出すのは、自信の不足です。
男らしさや、女らしさ、という価値や、
ちゃんとしなさい、という価値に縛られるのも、
自分らしさを肯定できないからかも。
自信を取り戻すことができれば、
無理な演技をする必要も無くなり、
「あなたのために」という愛ができるようになります。

まあ、ものすごくざっくり書くと、こんなかんじの流れで、
愛についての話しをまとめてみました。

聞いてくれるのは中学生なので、
この他に、コミニュケーションとしての携帯アプリの
使い方の話しなども交えながら、
90分でした。

幸い、生徒は力つきることも無く、がんばって聞いてくれていましたが、なるべく具体的できつい表現は避けたけど、
もしかしたら、しんどかった子もいるかもなあ、と思いました。
でも、聞いてくれたということは、彼らが、必要とする情報だったのかもしれません。
そして、きっと、普段から先生が伝えていらっしゃることを、
僕が、言葉をかえて話したことで、伝わった部分もあるのだろうと思います。
聞いてくれる素地が出来上がっていたからこそ、
聞いてもらえたのかな、と思います。

感想文を書いてくださるということなので、
その感想文を元に、さらなる改良を加えたいと思います。

人は、生きていくためには自信が必要です。
でも、自信は、人と関わらないようにして守れるものではありません。
自信は、お金では買えないし、人を見下しても手に入りません。
でも、人は、生まれた時は自信を持っています。
その自信を奪う人達がいます。
そういう人が減れば、もしかしたら、もっと優しい世の中になるのかもしれません。

友情も、愛情も、本当は、証拠なんていりません。
愛してるから愛する。信じてるから信じる。
相手のあるがままをすべて受け入れる覚悟があれば、
証拠なんていりません。
希薄な付き合いこそが、愛情や友情に証拠を求め、
その結果、疑いに満ちた関係になってしまうのかもしれません。

愛情も、友情も、ビジネスではありません。
そこには、損得もありません。
と、僕は思っています。
そういう恋人や、友人を得られることこそが、
きっと、幸せなのだと思います。