植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

経験したことが無いことを教える教師にとって大切なことは?

質問:教育者は、仕事として、自分が経験していないことを教えなければいけませんが、生徒にはどう接するべきでしょう?(高校生)

人にものごとを教える仕事をする人にとって大事なのは、
可能な限り、自分の経験を増やすことだと思います。

教科書に書いてあることを、自分が納得できないまま、
人に教えるなんてのは、きっとうまくいきません。

人は、自分が経験したことしかわかりません。
だから、世界は、わからないことに満ちあふれています。
それを、すべて、自分の力で学ぼうとすると、
下手したら、人間は、石器や土器を作るところで終わるかもしれません。
現在の人類の文明は、過去の人の努力を、文字などで残して積み重ねて来て、それを、効率的に伝授する教育があったからこそ発展してきました。

もちろん、先生が、なんの経験もなくても、先生にはなれます。
でも、その場合は、おそらく、教科書に書いてあることを
読み聞かせるだけの存在になるかもしれません。
それは、自動読み上げ機能が充実したら、不要になる存在です。
(というか、僕はそういう先生の授業が大嫌いでした。だって、自分で読んだ方が遥かにはやいですから。)

僕が、いままで出会って来た先生の中で、
魅力を感じ、多くを教えてくれた人達は、
全員が、様々な経験をしていました。
そしてそれらの経験と、授業を結びつけて話してくれたことは
テストにでなかったけど、忘れることができません。
それは、僕の力です。

僕は、方々で講演をしますが、
感想文の多くは、「自分の経験を話してくれたから、理解できた。」と書かれています。
不思議です。
僕の講演を、僕以外の人が読み聞かせるのと、僕がしゃべるのとで、
きっと違いがあります。
その違いは、きっと重要です。
その違いは、きっと、経験から生じています。

だから、やっぱり、先生は、可能な限り、いろんなことを経験した方がいいと思います。
民間の企業での就職活動を経験していない先生が進路指導しても、きっと、的外れなものになるでしょう。
同様に、数十年前の受験の常識を現在の生徒に押し付けるような進路指導も、正しくないと思います。

地域によっては、先生の職場体験を義務づけているところもあります。それは、とても有効なことだと思います。

時々、キャリア教育の社会人講話として、
とっくに定年退職した大企業の経営者がよばれるケースもありますが、話す内容は、下手したら昭和の常識です。
でも、それは、先生にとっては都合の良い内容かもしれません。
でもそれは、これからを生きる生徒にとっては、どうかしら、と思います。

また、自分が経験していないことは、
無理に考えても、憶測の評論になってしまいますから、
素直に「わからない」と覚悟決めた方がいいです。
そして、「わからなかったら、しらべればいい!」なので、
調べたらいいです。
そうしたら、また一つ、経験が増えます。
たとえば、生徒が「漫画家になりたい」と言ったら、
憶測で「成功するのはごく一部の人間だぞ」なんて言い切らずに、
まずは、自分の人脈の限りを尽くして、漫画家に出会い、仲良くなって、その生徒とあわせてあげてほしいです。
先生という肩書きは、それを可能にしやすいです。

そして、
学問とは、社会の問題を解決するために人類が積み上げたもの。
教育とは、失敗を安全に経験させるもの。
これを、心の隅っこにおいて、先生になってもらえたらなあ、と思います。


ちなみに、ちょっと余談になりますが、
先生とは、先に生まれちゃった、という意味ではありません。
先に生きる人です。
子ども達が生きるであろう未来の社会を先取りして経験し、
それを伝えることも、とても大事な先生の役目だと思います。