植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

偏見とは

僕は、デートDV防止講座を開くことができる
ファシリテーターの資格を持っています。

デートDVも、DVも、とてもひどいことです。
これも、児童虐待と同様に、なくしたいことです。

DVに関する講習を受けると、必ずついてくるのが、
ジェンダーバイアスです。
社会的文化的性差偏見。
たしかに、これはよくないことです。
僕は、小学生のとき、女の子と仲良かったです。
僕は運動が苦手だったからかもしれません。
女の子の家に遊びにいって、リカちゃんハウスを見た時には、
とてもおどろき、とても楽しかったです。
でも、それについて、おかしいとはやし立てられたのは
ちょっと悲しかったです。
(それでも、その学校は、休み時間には、男子も女子も手をつないで鬼ごっこをするような学校でしたから、たいした問題にはなりませんでした。)

僕は、性差による偏見も、男女間の暴力の原因にはなりやすいと思いますが、そうじゃない偏見も、人を苦しめることを知っています。
暴力(人の安心と自信と自由を奪う行為)の原因として、「偏見」はとてもおそろしい威力を持っています。
ジェンダーバイアスは、その偏見の中の、一部だと思います。

僕は、偏見について考えてみました。
偏見は、誤った情報に基づく判断、だと思います。

だとしたら、それは、世の中に溢れかえっています。
そして、自分の中にもきっとあります。

きっとあの人は自分のことを嫌っているだろう。
私は人から好かれていない。
というのも、偏見です。

エヴァンゲリオン碇ゲンドウさんもおっしゃっていますが、
人と人とはわかりあえません。
だから、そこには、どうしても、思い込みや、決めつけという、
偏見が生じます。
でも、わかる努力と、わかってもらう努力があれば、
きっと、偏見は減っていくはずです。

わかる努力。わかってもらう努力。
誤った情報に惑わされず、
自分で確かめる努力と、
「見捨てない」「見放さない」「投げ出さない」
があれば、偏見が減って、
暴力も減るかもしれません。

人と関わるのは面倒です。嫌な思いもします。
その嫌な思いの解決方法を知らないままに社会人になると、
嫌な思いをしないために、見捨てる、見放す、投げ出す、が
できるようになってしまいます。
それは、きっと、悲しい偏見と暴力を生み出します。

だからこそ、小学校、中学校、の義務教育の段階で、
しっかりと、人間関係に生じた問題を解決する方法を
学ぶチャンスが必要だと思います。
でも残念ながら、おたがいに謝らせて、握手させて、終了。
という、形だけの強制的解決も少なくないです。
(僕はこの解決方法が、本当に嫌でした。)
また、腫れ物に触るように、とおまきに、
様子を見ましょう、の名の下の放置も、良い結果にならないです。
これは、学校の問題の解決を押し付けてしまうから
生じてしまう問題です。

子どもの間に生じるトラブルは、人間関係の問題を解決する方法を学ぶ素晴らしいチャンスです。と、おたがいの保護者が思えば、
きっと、素晴らしい解決ができると思います。

そういう保護者が増えたらいいなあ、と思います。