植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

伝記を好きになるために。

僕は、伝記が大好きです。
僕のしたことが無い経験をした人の話しは、多くを学べるし、
困難に負けずに努力する工夫は、僕の人生にも役立ちます。
だから、僕は、子ども達に、伝記を片っ端から読んだ方がいいよ、とアドバイスをしています。
最近は、マンガの伝記もあるから、読みやすいしね。

でも、時々、伝記が大嫌い、という大人に出会います。
はじめてそういう人とであった時、僕は本当に驚きました。
でも、その人の言い分を聞いて、なんとなく納得しました。

その人曰く、
伝記を読むと、努力していない、あきらめた自分がつらくなるから、
読みたくない。
のだそうです。
そして、読みたくないから、読まないための言い訳が必要になるそうです。
「そんなの読んでも、自分とは時代(国、環境、などなど)が違うから、自分には役に立たない。」
「そんなの読んでも、その人だからできたことであって、普通の自分にはできるわけないから、読んでも意味が無い。」
「そんなの読んでも、どうせ脚色美化されてるから、事実ではないから、読んでも意味が無い。」
「そんなの読んでも、何万人に一人の話しなんだから、全員がそうなわけないのが現実なのだから、自分には関係ない。」
「伝記なんて、きれいごとだ。事実、世界は良くなっていないじゃないか。だから、伝記なんて意味が無い。」
などなど・・・

でも、この気持ちは、本当は、努力したり、あきらめずにがんばりたいのに、それができていない自分が嫌だから、
その自分を弁護するための思考のような気がします。

あきらめる自分が嫌だから、あきらめを正当化するための言い訳をしてしまうと、挑戦するのはほぼ不可能になります。

嫌なことがあるから、嫌なことを「しょうがない」と正当化してしまうと、嫌な状態を改善するのは不可能になります。

重要なのは、現在の自分の状態を自分に説明するのをやめることかもしれません。

暑い日に、なんぼ「暑い、暑い」言っても、涼しくなりません。
嫌な自分を、なんぼ「いやだ、いやだ」言っても、良くなりません。

重要なのは、だったらこうしてみたら。だと思います。

あきらめた自分が嫌だ、という気持ちがあるのならば、
いつあきらめたのかを、考えてみるのも効果的です。
きっとどこかで、「努力が無駄だ」と思えるシーンがあったはず。
それを再認識して、違う方法で乗り越える挑戦をしてみるのも
もしかしたらいいかも。
そしてそのとき、同じような経験をした伝記の人の話しは、
役に立つはずなんです。

嫌な自分を、なんぼ嫌っても、なんの解決にもなりません。
なぜ嫌なのだろう?と考えたら、解決策が見えてくるかも。
そうしたら、伝記も好きになれるかも。

あきらめたり、やめたりした自分をダメだと決めつけないで。
それは、そのとき、自分の心を守るために必要な避難だったかもしれません。
ダメなものに、無理矢理挑んで、玉砕してはいけません。
「明日の為に、今日の屈辱に耐えるのだ。」
避難して、体制を立て直して、再度挑戦する。
それは、ぜんぜんだめではありません。

「もうだめだ。」と思ったら、楽チンです。
なにもしなくてすみます。
でも、生涯、やらない言い訳をするはめになります。
しかもそれは、他の人の努力さえも潰してしまう可能性もあります。

だからこそ、
「まだできることがあるかぎり、負けじゃない。」
アニメ「サマー・ウォーズ」を見ると、がんばる気持ちがわいてくるかも。
伝記も好きになれるかも。

伝記を好きな人が増えたらいいなあ。