植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

助けられる=迷惑をかける、ではない。

僕は、いろんなことの歴史を調べるのが好きです。
とくに、社会の成り立ちについては、とても興味があります。

人間という、爪も牙も無い、弱い生き物が、
なぜ、生き延びることができたのか。

人は、弱いです。
弱いから、力をあわせたのだと思います。

もしかしたら、社会は、足りない人達が、
力をあわせるために、構成されたものかも。

ところが、いつの間にか、「弱い」「足りない」が、
マイナスに思われるようになった気がします。
だから、高齢者は、社会の負担のように言われます。
子ども達の教育に関しても予算が縮小するのは、
教育が「負担」と思われているからかも。

僕は、中学、高校と、成績が悪かったです。
だから、先生に、「成績が悪い、やる気の無いやつは、授業の邪魔になる。みんなに迷惑がかかる。」と言われたことがあります。
やる気がなかったわけではないんだけどなあ、と思いました。
そんな僕は、大学に行きました。
そこでは、自分の大好きなことをやるもんですから、成績が良くなりました。
でもそこでもやっぱり、中学高校の僕と同じことを言われている子もいました。

なぜ、成績が悪いと、授業の妨げになって、ほかの子に迷惑がかかるのかな?と思いました。
最初からできる子なら、学校に行かなくていいじゃん、と思いました。
できないことを、できるようにするのが、先生の役目じゃないの?と思いました。

でも、残念ながら、僕は学校で「できないことがあるor人より劣っている=人に迷惑をかける」と教えられてしまいました。


そんな社会で、白い目で見られないためには、
ちゃんとしているふりをしなければいけません。

でも、
ちゃんとしているから、人の助けはいりません。
ちゃんとしていないから、人に迷惑をかけるでしょ!
という人が増えたら、助け合いは成立しません。
助ける=ほどこし
助けられる=迷惑をかける
になってしまいます。

気がついたら、助け合うはずの社会が、
ちゃんとしたふりをする人達で溢れかえり、
助け合いにならなくなってしまったかも。

だから、
ちゃんとしたふりをしないのは、だいじかも。
そして、
助ける=ほどこし
助けられる=迷惑をかける
という認識を持たないようにすることも、だいじかも。

そして、学校という場所は、
できない人をふるい落とす場所ではなく、
できないことを、できるようにする場所、という認識を
先生には持ってほしいなあ、と思います。