植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

個性の大切さ

人は、人から必要とされたいです。
なぜなら、人の自己存在は、とても弱くて希薄だからです。
自己存在を確認するために、他者が必要です。


必要とされるためには、個性が必要です。
なぜなら、おんなじ人がいっぱいいたら、
どれを選んでいいかわからないからです。


個性は、流行でも、物まねでもありません。
個性は、自分自身の経験です。
いい経験も、つらい経験も、それは、他者が知らない
自分だけの情報です。それは個性です。


だけど、日本では、学校では、個性は危険です。
他人と違うと、とやかく言われます。
みんなと同じじゃないと、はぶけにされます。

素晴らしい経験をしても、
それをうっかり学校でしゃべろうものなら、
「なにそれ自慢?」「余裕あっていいね。」と言われます。
ひどい時には、先生にまで言われます。
いじめの原因になることも多いです。
だから、いじめられないためには、
めだたないこと、ふつうであること、が大事になります。

しかし、普通だと、選ばれないです。必要とされないです。
だから、自己存在を確認できません。
だから、とっても不安になります。

その不安を解消するために、
最初から、自分を卑下することで、必要とされないのは
当たり前です。だから、必要とされなくても大丈夫です。
と、自分を慰めるようになることがあります。

また、その逆に、不安だから、証拠を求めるようになり、
友人や、恋人を強制的に確保します。
「既読には即返事」なんてのは、
「自分が必要とされてないんじゃないか・・・」という
不安から生まれてしまうことのように思います。
ストーカーという現象も、不安でしょうがない人が、
つながりの証拠を強制的に求める行為のように思えます。

不安だから、仲間を作ってしまう人もいます。
同じ格好。同じ嗜好。同じ話題。
でも実は、いつ自分だけ違うって言われるか、
怖くてしょうがないから、
相手の顔色をうかがって、演技し続けるだけの、
異常な「仲間」です。
それは、「仲間」ではありません。「群れ」です。
これも、いじめの原因になることが多いです。

不安だから、自分以下を作りたい人もいます。
そういう人は、誰かの悲しい経験を、話題のネタにします。
同情しているふりをして、そのネタで、話題の中心になり、
自己存在を満足させるのです。
こういう人は、人の不幸のうわさ話が大好きです。
でもそれは、不安だからだと思います。


自己存在が不安な人は、悲しい行動をとりやすいです。
だからこそ、個性は、尊重される方がいいです。
しかし、学校という環境が、個性を削ぎ落としてるように見えます。
だから、今の日本の子ども達は、自己肯定感が世界でもトップクラスに低いのかも。

学校という場所で、みんなの個性が、バカにされず、受容されたら、
社会は、いきなり良い方向に変化していくような気がします。
だから、学校に通う人達みんなで、
おたがいの個性を大切にする努力をしてみてほしいです。
それが、人の個性を潰す大人達への、最強で最良の抵抗になると思います。