植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

人間は全員偽善者です。

以前、本州の方から一般の方向けの講演の依頼を受けました。
日程を確保して、打ち合わせを詰めていくと、
お金がない、と言われました。

せめて交通費でも・・・とお願いしてみましたが、
それもない、のだそうです。

本州だと、飛行機代だけで、往復で8万円弱ほどかかってしまいます。

お金がない、ではなく、なんとかなりませんか?
と言ってみたら、
「私たちは全員ボランティアで会を運営しています。だから、お金はありません。だから、植松さんもボランティアでお願いします。」と言われてしまいました。
えー・・・・。そういうもんだっけ・・・?

過去の講演の経験で、「お金がない」という場合は、
たいていは、お金を集めるために人と関わる努力をしていません。
そういう方達は、集客のために人と関わる努力もできない事が多く、行ってみたら、身内だけ十数人だった、なんてことが多いです。(かなりの確率で)

同じ時間をかけるなら、学校に行った方がいいです。
ということで、断ることにしました。

そうしたら「偽善者だ」と言われてしまいました。

これには、ちょっとかなり凹みました。

全部無償提供じゃないと、社会的な活動はしちゃダメなのかな?とかなり真剣に悩んでしまいました。


そこで、悩みの原因である「偽善者」について調べて考えてみました。

様々な方々が、「偽善」について本を出されています。
それらを読んで、僕が出した答えは、
普通の人間は、完璧な善になりきれない。どこかに悪の心もある。
普通の人間は、完璧な悪になりきれない。どこかに善の心もある。
だから、人間は、必ず、悪の心を持ちながら、善の行いをしてしまうので、人間は必ず「偽善者」だったんです。

だから、人を悪く言うために「偽善者だ」というのは、
不適切な使い方だとおもいます。
それは、「おまえ!人間だ!」
「おまえ、ホモサピエンスだ!」と言ってるようなもんです。

そして、人を「偽善者だ!」と言い切れるのは、
完全な善である「神」か、
完全な悪である「悪魔」かの、どちらかです。
(ほんとにどっちかだったら、すごい。)

僕のfacebookを見に来てくれている人たちは、きっと、
社会的な活動をがんばってる人が多いと思います。
そうすると、どこかで「偽善者!」という言葉に
出会ってしまうかもしれません。
その言葉で、自分を責めてしまったりするかも。
でもね、大丈夫。
人間は、全員、完璧に「偽善者」ですから。

誰かに「偽善者!」と言われたら、
「おまえもな!」と、ジミー画伯風に言ってあげたらいいかもしれません。
(というか、本当は、そういう人からは遠ざかった方がいいとおもうけどね。)