自分がどうしたいのかが大事です。
「どーせ無理を無くしても、
戦争も暴力も無くならない。
なぜなら、人間には欲があるからです。」
と、言われたことがあります。
このロジックには、いろんな問題があります。
まず、
どーせ無理を無くしても、戦争も暴力も無くならない、
ということの、証拠が無いです。
というか、過去に実施されていないと思いますから、
データーが無いです。
でも、この可能性はゼロではありません。
どーせ無理を無くすると、戦争も暴力も無くなる、
というのも、同じく証拠は無いです。
しかし、その可能性は、ゼロではありません。
可能性がゼロである、ということを証明するのは、
とてつもなく難しいことです。
つぎに、
人間に欲があるから、戦争や暴力が生じる。
ということも、その関連性を100%裏付ける証拠は無いです。
実際、僕にも欲はあります。
でも、僕は暴力をつかいません。
それでも、自分のやりたいことは実現していっています。
「どーせ無理を無くしても、
戦争も暴力も無くならない。
なぜなら、人間には欲があるからです。」
これは、もっともらしく聞こえます。
でも、この理論は正しいとは言い切れません。
もちろん
「どーせ無理を無くしたら、戦争や暴力が無くなる」
も、正しいとは言い切れません。
だから、この状態で、どちらが正しいかを議論しても、
YMOのコントのようになるだけです。
「いーものもある。だけど、悪いものもある!」
実は、こう言う状態で、一番大事なのは、
「じゃあ、自分はどうしたいんよ?」
なんです。
僕は、戦争も暴力も無くしたいのです。
だから、可能性のあることをやるのです。
おなじく、戦争と暴力を無くしたい人と力をあわせたいのです。
だから僕は、しゃべります。
「どーせ無理を無くしても、
戦争も暴力も無くならない。
なぜなら、人間には欲があるからです。」
と言えてしまう人は、戦争や暴力を、無くしたくない?
今のところ自分は巻き込まれなさそうだから、どうでもいい?
戦争も暴力も必要?
大事なのは、自分がどうしたいか、です。
僕は、戦争も暴力も無くしたいのです。
だから、仲間を探すのです。