植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

勝てる相手に勝たなくていい。

弱いものいじめ、という言葉は聞いたことがありますが、
強いものいじめ、という言葉は、聞いたことがないですね。

たいていの人は、自分より強いものには向かっていきません。
寄生獣というマンガには、
動物は、自分より強いものを認識して、
立ち向かわない、というシーンがありました。
これは、生物が本能的に持つ防衛反応なのかな?

過去に見てきた、暴力的な人達も、
異常なまでに、自分たちで階層構造を作り出します。
自分より階層が上のものには媚び諂い、
自分より階層が下のものには居丈高に振る舞います。
アウトローアナーキーな人達のはずが、
自分たちでつくった仕組みにがんじがらめになってます。
これって、かなり原始的で動物的な行為かも。
ラオウなら、自分に媚び諂うものは許してはおかないですね。)

軍人勅諭、という、明治につくられた文章の中には、

上級の者は、下級の者に向かって、少しも軽んじて侮ったり、驕り高ぶったりする振る舞いがあってはならない。
おおやけの務めのために威厳を保たなければならない時は特別であるけれども、そのほかは務めて親切に取り扱い、慈しみ可愛がることを第一と心がけ・・・

という文章や

武勇には大勇(真の勇気)と小勇(小事にはやる、つまらない勇気)があって、同じではない。
血気にはやり、粗暴な振る舞いなどをするのは、武勇とはいえない。
軍人ともあろう者は、いつもよく正しい道理をわきまえ、よく胆力(肝っ玉)を練り、思慮を尽くしてことをなさなければならない。
小敵であっても侮らず、大敵であっても恐れず、軍人としての自分の職務を果たすのが、誠の大勇である。
 そうであるから、武勇を重んじる者は、いつも人と交際するには、温厚であることを第一とし、世の中の人々に愛され敬われるように心掛けなさい。
理由のない勇気を好んで、威勢を振り回したならば、遂には世の中の人々が嫌がって避け、山犬や狼のように思うであろう。心すべきことである。

という文章があります。(今風の言葉になおしてあります。)

こんな文章があるということは、当時は、この文章が否定的に書いているような人が多かったのだろうと思いますが、
現在も、その傾向は変わりないかもしれませんね。

(軍人勅諭は、その成り立ちから、よくよく自分で調べて、一度ちゃんと読んでおいた方がいい文章だと思います。)


人間の精神は発達します。
しかし、その精神発達が未成熟な場合は、
かなり、動物に近い行動をしてしまうかも。
それが、
弱いものいじめ、という行動になるのかもしれません。
すなわち、
弱いものいじめをする人は、精神的に未熟である、ということかもしれません。


僕は、いままで、いろんな相手と戦ってきました。
なんせ、ビジネスはなかなか大変です。
でもその戦いの中で学んだことは、
「勝てる相手には、勝たない」です。
いつでも勝てるんだもん。いま勝つ必要は無いです。
ほうっておいたって、なんの問題もありません。
そんな相手にけんか売るのは、無駄です。

僕が戦うべき相手は、自分のやりたいことを阻止する相手です。
相手の大きさとか、関係ないです。
自分のやりたいことを達成するために邪魔になるものと戦うことに全力を尽くすべきです。
そして、もっと大事なのは、大敵に正面から四つに構える勝負なんかしたら、負けるに決まってます。

そして、もっともっと大事なのは、戦わないことです。
そこには、敵を避けるってのも、ありです。
強敵がいる道を、わざわざいかなくとも、
脇道にいくってのも手です。

そして、もっともっともっと大事なのは、どうしても避けられない敵とは、仲良くなることです。

嫌な相手と、仲良くなる努力の方が、嫌な相手を倒す努力より、リスクが少ないです。
そして、嫌な相手のために、なんでもしてあげるのです。
利用されてる、と悔しい思いもするかもしれないけど、
そんな気持ちは頭から消して、なんでもしてあげます。
なぜなら、してあげると、できなくなるからです。
そうやって、相手の能力を奪うのです。
もちろん、そのとき、だれでもできるようなことをなんぼしてあげても、なんにもならないです。より高度で難しいことをしていくのです。代替が効かない作業をしてあげるのです。
やがて、自分がいなければ、物事が前に進まない状態にまでなったとき、イニシアティブを奪えます。勝利です。

本当の勝利とは、
戦わないこと。
もしくは
相手から必要とされること。
かもしれません。

ともすると、僕らの心の中にも、原始の記憶があるから、
僕らは、弱そうなあいて、歯向かって来なさそうな相手に、
強い態度になってしまうこともあるかもしれません。
同じように、「大義」が我にある時に、強い態度になってしまうかもしれません。
空港のカウンターや、お店のレジで、大声出して威圧してる人がいますが、それは原始の心のなせることです。

でも、そこで踏みとどまって、
自分の行動は、相手の「安心」「自信」「自由」を奪っていないか、考えるべきです。
そうしたら、僕たちは、暴力という手段をつかわずにすむはずです。

相手を、びびらせよう。こわがらせよう。おそれさせよう。
なんて思うのは、自分の中の原始の心です。
それは、とても未成熟な心です。


自分の中の原始の心に負けないように、
心を成長させていきたいものです。