植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

「批判」ではなく「よりよくしよう」で議論すべきでは?

誰かと議論になったとき、
相手が、次々と論点を変えて、
ただひたすらに、批判ばかりをしてくるのなら、
その人は、議論できない人なので、
それ以上、議論するのは時間の無駄です。

議論とは、本来は、異なる二つの意見を合成して、
新しい意見を作りだすものだと思います。
双方が、お互いのもたらす情報によって、
考え方を変えたり、深めたりして、
よりよく変化するためのものだと、僕は思っています。

しかし、残念なことに、
自分の主張だけの人は少なくないです。
そういう人は、「正しい」か「正しくない」かに、
やたらにこだわる傾向があります。
(そして、常に自分は正しい。)

でもそれって、
「おめえ、うぜぇんだよ!」
「おめえ、キモいんだよ!」
と、言い放ってるだけの人と、
なんら変わりはありません。

それは、あかちゃんです。
あかちゃんは、なにもできないから、
不愉快を主張するしかありません。
それとおなじように、
どうしたいのか?さえも考えられない人は、
ひたすらに、不愉快を主張し、相手を批判するのだと思います。

このような状態を改善する方法は、
思考力の育成だと思います。

自分が何をかんがえているのか?
どうしてそういうかんがえになったのか?
よりよくするためにはどうすればいいとおもうのか?
を、明確に言葉で表現し、
それを、明確に相手に伝えることができ、
そして、相手についても、
相手が何をかんがえているのか?
相手はどうしてそういうかんがえになったのか?
よりよくするためにはどうすればいいとおもうのか?
を、明確に自分の言葉で表現できれば、
議論は成立すると思います。

少なからずの学校で、プレゼンの練習をしているようですが、
そこでは、自分の主張の仕方や、
情熱的な仕草などの演出の練習にとどまってしまっているケースも少なくないようです。
(それこそ、ジョブズのプレゼンの真似とか、TEDのプレゼンを参考にしたり・・・、う。僕のTEDxは、あまり参考にならないな。)

僕は、議論で大事なのは、
自分の思考と、思考をわかりやすく伝える言語能力と、
相手の言葉や思考を理解できる言語能力のように思います。
そして、「わかりやすく伝える」と「理解」には、きっと、
思いやりや優しさが不可欠です。
だからきっと、「不愉快だ!」「嫌いだ!」で始まる議論は、
議論にならないのかもしれないですね。

まずは、どんなことも、
相手の批判ではなく、
「よりよくするために」を主軸として、
議論すべきなのかもしれません。