植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

トンビを鷹にするために。

子どもが中学生になると、
部活が忙しくなって、あんまり関わる時間がなくなるし、
しっかりしてくるから、留守番させても大丈夫な感じだし、
「手が離れてよかったわあ。」と思えるかもしれないけど、
かんがえてみて。
子どもがようやく立って歩くようになったとき、
子どもが手を振り払って、勝手に歩こうとしても、
その手を掴み直さなかった?
いつ転んでも大丈夫なように、見守り、準備してなかった?

本当は、税金で提供される義務教育は、それが終わった段階で、
社会人としての能力を備えているはずです。
しかし、現在の義務教育は、高校受験予備校と化しています。
いまの中学生が、卒業と同時に、ちゃんと働くことができそうに見えますか?

そうじゃない、と思えたら、それはまだきっと、手を離しちゃだめです。

手が離れてよかったわあ。は、実は、自分が楽をするために、
子どもがさも成長して自立しているかのように考えたいだけなのかも。

もしも教育がなかったら、人間は、未だに石器にもたどり着かないでしょう。
先に生きた人間が、その経験や努力や苦労や成果を、次の世代に伝えるからこそ、人類は進化してきました。
だったら、親も、先に生きたのだから、伝えられることはあるはずです。
それができたら、人類は、リングワンダリングから抜け出して、進化できるのかも。

トンビを鷹にするのは、トンビである親だと思います。