植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

愛の快楽に勝るものなし

北海道で、ネットで集まった3人が、女性の部屋に侵入して暴行を加えるという、恐ろしい事件がありました。

襲われた人の、恐怖や絶望感を考えると、
こういう犯罪はもっと厳しく対処すべきだと思います。

僕には、人を襲って無理やり性的なことをする人の気持ちはまったくわからないです。
僕だけなのかはわかりませんが、性的な快楽は単純なものではないと思います。だって、単純な快楽なら、自分一人でなんとでもなります。
そうではなく、愛する人との快楽は、自分の行為が相手を喜ばせることにあるような気がするのです。

それが、相手が嫌がろうが、苦しもうが、おかまいなしに
性的な行為ができてしまうというのは、それはもう、
相手が苦しみ、嫌がり、恐怖する様子に快楽を得ているように見えます。
でもそれは、愛が生む快楽から見たら、ぜんぜん低レベルの、自慰行為の延長程度の快楽だと思います。
そういう人は、本当の快楽を知らない、さびしい人たちなのだと思います。

人を意図的に苦しませたり、恐怖させたり、傷つけたりすることはしてはならないはずです。
でもそれに快楽を感じるのならば、それはもう、社会不適合どころか、社会の敵です。

でも、先日のテレビでも放送していましたが、
しかめっ面して、人を怒ったり、説教しているときに、快楽物質が分泌されている人たちは、パワハラやモラハラをしてしまうそうです。そして、そういう人は、少なからずいるそうです。

人を愛することや、愛のある性的な行為の快楽を知らないと、
人は、人を苦しめることができてしまうのかもしれません。
そして、それは、誰も教えてくれません。
僕が学生時代に受けた性教育は、生物の授業のような感じでした。
でも本当は、愛について学ぶべきなような気がします。

エーリッヒ・フロムさんは、「愛は、学ばないとできません。」と説いています。僕も同感です。

僕は、「道徳」も大事だけど、「愛」の授業をしたほうがいいように感じています。
(だから、市内の中学校で、デートDV防止講座として、愛についての授業もさせていただいています。まだまだ、改善の余地があるけど、中学生の感想文は、しっかりと愛について受け止めてくれていました。)

みんなが、素敵な愛ができるようになったら、
暴力で快楽を得るような人が減るかもしれません。