植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

世の中はファジーです。

世の中は、かなりファジー(死語)です。
白黒はっきりしないことがいっぱいです。
そこには、全体に統一された絶対的な正解はあんまりなくて、
都度応談的な解しかないような気がします。

だから、
100%当てはまらなければ「正しくない」。
当てはまらないケースが一つでもあれば、「正しくない」。
という思考をしてしまうと、
この世の中には「正しくない」しかなくなってしまい、
自分の論理の基軸さえも失うような気がします。

そうなると、自分の意見を持つことができず、
ひたすらに、他人の意見に対して
100%当てはまらなければ「正しくない」。
当てはまらないケースが一つでもあれば、「正しくない」。
と、正しくない宣言をするしかなくなるかも。
でもそれじゃあ、だれも自分の思いをしゃべりたくなくなっちゃう。

僕は、子ども達に、夢を叶えたければ、自分の夢をどんどんしゃべって、支えてくれる仲間を探したらいいよ。と言っています。
僕の経験上、これはかなり有効だと思っています。
しかし、人に夢をしゃべるのは勇気が必要です。
だって、否定されたり、できるわけ無いといわれたりするからです。
でもね、そもそもなんで、他人の夢を否定したり、できない理由を教える必要があるんでしょう。
それはきっと、「できない可能性がある」からでしょう。
でも、できない可能性が一つでもあったら不可能?
そんなことないですね。
できない可能性もあるし、できる可能性もあります。
すべきことは、できない可能性を減らし、
できる可能性を増やすことだと思います。

自分の意見を言ったり、自分の夢をしゃべったりするのが、
嫌だなあ、と感じてしまうのは、
ごく一部の「正しくない可能性が一つでもあったら正しくない」思考の人たちの影響かもしれません。

でもね、世の中は、かなりファジーです。
できる可能性も、できない可能性もあります。
どっちを選ぶのかは、自分次第です。
で、僕としては、
「できないことができるようになったら自信が持てる。」
と思っています。
そして、
「自信があれば、ほかの人の自信をうばう必要が無い。」ので、
優しくなれると思っています。

だから僕は、できる可能性を高める努力をしていきたいし、
ファジーな世の中で人の心や思考の複雑さを、なんとか言葉で表現できないかなあ、と模索し続けています。