植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

想像力は大切だと思う

赤平の近くの砂川市で、
とっても残念な交通事故が起きてしまいました。
まだ、事故の詳細などはわかっていませんが、
自動車の恐ろしさをあらためて感じます。

僕は、自動車やバイクは好きです。
でも、一般道路でワイルドスピードのように走りたいとは
全く思わないです。
道路は、公共の場所です。みんなが使う場所です。
自分のミスが、ほかの人の大切なものを奪う可能性があります。

自動車は、アクセル踏めばスピードが出ます。
そんなの、誰でも出来ます。
ほとんどの人がやらないのは、そのリスクを想像できるからです。
それは、暴力や暴言と似ています。
感情のままに、暴力を振るったり、暴言を吐くのは、
実は誰でも出来ます。
でも、それをやらない人がいるのは、暴力や暴言のリスクを想像できるからです。
だから、自動車で暴走したり、暴力を振るったり、暴言を吐いたりする人は、自分の行為の結果や未来を想像できない人たちかもしれません。

僕は、会社の仲間に、「自分の青信号を信じないように」と言っています。
だって、なんぼ自分が信号をまもったって、信号無視する車がいてぶつけられたら、死ぬかもしれません。
信号を信じて死ぬよりも、自分の知覚を信じた方がいいです。
ただし、自分の知覚は、体調などによって性能に大きな差があります。だから、自分の知覚は、あくまでも、信号のバックアップだと思った方がいいです。
「オレは自分の知覚を信じてるから、信号なんてまもる必要ないぜ!」なんてのは、信号無視して事故る人の常套句かも。

今回の事故で悲しかったのは、
あまりにもひどい事故だからか、いろんな人が、この事故についてネットで書いていました。
その中には、明らかに間違った情報や、足りない情報で憶測して、ひどいことが書かれているものが少なくありませんでした。

先日、朝の情報番組で、結婚式の最中に、新婚さん以外の男女が、新郎新婦の目の前でプロポーズした。というネットの写真に対して、世界中からあっというまに、そのプロポーズを非難するコメントが集まりまくった、というものがありました。
「せっかくの結婚式が、台無しだ」という趣旨のものが多かったそうですが、実は、そのプロポーズした2人は、その結婚式の新郎新婦の兄弟で、みんなでしあわせになりました、というのが事実だったそうです。
それを知ったとき、ぼろかすに書いていた人たちは、どんな気持ちになったのかなと思います。
そういう人たちは、ぼろかすに書かれた、プロポーズをした2人はどんな気持ちだったのか、考えたりしないのかも。

自動車の運転も、ネットの発言も、自分の行為が、未来にどういう影響を与えるのだろう、ということを想像できない人は、
もしかしたら、周りを巻き込むような事故を起こしてしまうのかもしれません。
想像力の欠如は、もしかしたら、とても恐ろしい事かもしれません。

では、想像力は、どうやったら成長し、どうやったら奪い取られるのかな?

植松電機に来てくれる子達を見ていて感じるのは、
「完全に支配されていて、思考することが許されない」状態の子達は、想像力が著しく欠如しているように感じます。
そういう学校の子達は、周りの人を助けないし、助けを求めることもしません。
すべての行動に、おびえと自信のなさを感じます。
「え、これ、やっちゃっていいのかな?」
「これ、こうしちゃっていいのかな?」
と、不安そうです。だから、指示されないと手が動きません。
こういう子達には、教える方は大変です。
1人に教えたことを、隣の子にも、まったく同じく教えないといけません。じゃあつぎ私も・・・みたいな感じで、
全員に、すべきことを指示しないとできないです。
これでは、ものすごく教えるための労力が必要です。
そういう子達は、もしかしたら、想像力が欠如した人間にされてしまうかもしれないです。

対して、自由な校風の学校の子達は、先に進んでる子は、困ってるこのことに気がついて、助けようとします。
わからなくて困った子は、すぐに隣の子を見ます。
だから、教えなくてもぜんぜん大丈夫です。
そういう子達は、周りを見ています。気がつきます。
だから、マイクのスイッチが入っただけで静かになります。
次に起きることや、次に起きることには、どういう姿勢で臨めばいいかを、想像できるからです。
彼らは、情報を得ようとします。
しかし、支配されてる子達は「静かにしなさい!」と怒鳴られないと静かになりません。
そして、「話をちゃんと聞きなさい!」と怒鳴られないと、静かにしてるだけです。話を聞かないです。
そういう人。会社で働けないです。

先生によっては、「自由」という言葉に、
ものすごく拒否反応を示す人がいます。
そんなことを子ども達に認めてしまったら、学級崩壊する!と真剣に信じている人もいるみたいです。
でもね、子ども達は、あなたのクラスで一生を終えるんじゃないんだよ。
子ども達は、社会人になるんだよ。
そのときに、本当の自由や、権利について、知っていないと、
それこそ、自由を間違えてしまうんじゃないかな。

って、書いていて思い出しましたが、
支配的な先生は、植松電機に見学に来たときに、
まず、僕らに挨拶をしません。
そして、会社の設備などを、我が物のように使います。
支配的な先生は、公共意識が乏しいのかな?
公共って、自分が好き放題に使えるもんだと思ってんのかな?
と感じてしまうことがほとんどです。
うーむ。そういう感覚と、道路で暴走ってのも、もしかしたら、根っこは同じなのかな・・・

自分を律するのは、きっと、近い未来を想像する心だと思います。
それは、「愛」と同様に、人間が生まれつき持ってるものではないかもしれません。
ちゃんと学ばないとできない事のような気がします。