植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

ひどい目に遭っても、「自分なんて・・・」と思わないで。

僕は、じいちゃんが大好きでした。
やさしくて、おおきくて、いつも僕を愛してくれました。

僕が飛行機やロケットに興味を持つと、喜んでくれました。
飛行機の名前などをおぼえたら、もっと喜んでくれました。
僕が夢を持ったら、もっともっと喜んでくれました。
大きな手で、頭やほほを沢山なぜてくれました。

でも、そんなじいちゃんは、僕が幼稚園の年長さんの冬に、
突然倒れてしまいました。
帰ってきたときには、顔に白い布がかかっていました。
ものすごく悲しかったです。

そして僕は、小学校の1年生になりました。
そして、ものすごい先生に受け持たれました。
1年生から、3年生まで、毎日体罰でした。
じいちゃんがなぜてくれた頭が、
じいちゃんがなぜてくれたほほが、
なんの躊躇もなく、壁まで吹っ飛ぶほどの勢いで殴られます。

そのとき僕は、
「殴られてしまってごめんね」と、
じいちゃんにあやまっていました。
じいちゃんが大切にしてくれたのに、
僕はダメな子どもだから殴られている。
ダメな僕でごめんね。と思ったのです。

でも、ダメなのは僕だけじゃなくて、
クラスのほとんどの子は、殴られていました。
いつもみんな、びくびくしていました。
先生が教室に来たら、みんな固まっています。
おそらくは、「行儀のよい、よくしつけられた子ども達。さすがこの先生は素晴らしい。」状態だったかもしれません。

その頃の同級生は、いまでもその先生を殺したいと言っています。
僕も、その先生の名前を忘れていません。
でも、あの頃で、かなりのご高齢だったので、
もうご存命ではないような気もします。
探そうとも思いません。

怒られたとき、僕は自分を責めました。
僕がダメなんだろう、と思いました。
でも、僕と同じように思ってしまう人は少なくないと思います。

あの体罰は、僕に恐怖を教えました。
そして、自分がいかに目立たずに、目を付けられないか、ということを強く意識するようになりました。
それは、まるで、シマウマなどの野生動物のようです。
誰かがライオンに食べられたら、ほっとします。
自分が食べられなければいい、という気持ちだったと思います。

今僕は、なぜ、学校であそこまで支配されなければいけなかったのかを、すごく考えます。
当時は、昭和50年代で、学校が荒廃していた時代と言われています。
その頃は、生徒の「自由」や「権利」は、御法度だったそうです。
そんなものを認めたら、大変なことになる、と信じている先生は少なくなかったようです。
だから、理不尽なまでの支配が行われていたような気がします。

いまでも、似たような事をしている先生を見たら、
心が苦しくなります。
南斗白鷺拳のシュウのように、
「今より輝こうとする子ども達の光を奪い去ることはゆるさん!」と、怒りに震えます。
でも、子ども達の前で、その先生とけんかしても、言い合いしても、何にもなりません。
だから、僕は、子ども達に伝えます。

「みんなの人生は、みんなのものだよ。一回きりの大切なものだよ。その人生を、他人に取られないようにしてね。
みんなをショッカーにしようとしてる人に出会って、
どんなにひどいことを言われても、「自分なんて・・・」と思わないで。どんなにひどいことをされても、決して死なないで、生き延びて。そうしたら、僕らはまた会える。そのときは、力を合わせて、なにか新しいことをやろうね。」


あのケンシロウとシュウの再会のように、
成長した子ども達と会えたらいいなと思っています。

(わからない人は、北斗の拳を読みましょう。)