植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

正当性は、暴力や攻撃を正当化しない。

昔、僕は、自分がひどいことされても我慢したけど、
友達がひどいことされたら、ものすごく攻撃的になっていました。

でも、よくよく考えたら、それは、
「正当性」に乗っかっただけでした。
「正当性」を悪用して、自分の鬱憤を晴らそうとしただけでした。
そこには、高揚感や、興奮がありました。
自分を正義の味方のように感じていました。

「正当性」はいいです。
だって、自分の行為を正当化できます。
「友達のために」という言葉で、
僕は、暴力を肯定してしまいました。
ひどい言葉も使えました。

でも、「正当性」に乗っかった人たちが、
民族浄化や、虐殺などもできてしまうということを知り、
本当におそろしいと思えるようになりました。

いま、砂川市で起きた痛ましい交通事故について、
ネット上で様々な言葉が飛び交っています。
事故を起こした人の、家族や子どもの写真までが、ネットにさらされています。
僕は、その状態に違和感と怖さを感じます。

自分が誰かに文句を言いたくなったとき、
その理由をよくよく考えるといいと思います。
それは、攻撃なのか、それとも、交渉なのか。
よりよくしたいのか?
それとも、すっきりしたり、優越感を感じたいだけなのか?

大事なのは、正当であろうがなかろうが、
暴力や攻撃という交渉手段を選ばないことです。
それは、「正当性」程度で「正当化」されるべきではないです。

僕らは、暴力や攻撃という交渉手段を選ばないことができるのです。