植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

写経じゃないんだから。

最近、大学の講義で、黒板を携帯で撮影する人が増えてるそうです。
便利な時代になったものです。

でも僕が大学生の頃には、もっといいことに気がついていました。
だって、黒板にひたすら書く先生にかぎって、
その内容は、教科書とまったく同じだったのです。
だから、教科書に蛍光ペンで線引くだけでオッケーでした。
で、僕は、黒板をノートにうつす時間を短縮して、
その代わりに、その先生がしゃべった、教科書に書いていないことをノートに記録しました。
先生の「余談」のほうが、僕にとっては素晴らしい知識や考え方にのもとになっています。
(もっとも、「余談」さえない先生も沢山いましたけど。そういう場合は、違う勉強をするのです。)

僕の講演でも、先生が「ちゃんとメモを取りなさい!}なんて言ってしまうと、もう、生徒は、スライドに映ってる文字を書き写すので精一杯になります。だから、話を聞いてくれません。
学校によっては、まったくメモを取らない学校もあります。
でも、「うなずき率」は、メモ取らない学校の方が遙かに高いです。泣いてしまう子もいます。

僕は、子どもの頃から、教科書に書いてあることを、先生が黒板に書いて、それを生徒が書き写す、はものすごいタイムロスだと思っていました。
でも、僕はいま、講演を聴きに行ったら、まあその内容を、ほぼ書き起こしで本が作れるレベルで記録します。
それは、パソコンのおかげです。
僕は、人がしゃべるのと同じ程度の速度でパソコンのキー入力が出来ます。
(中学生の頃から鍛えましたから。最初は機械式タイプライターでしたが。)
だから、記録を取ると同時に、その人の発言に、自分で突っ込みを入れ、それも記録にします。
ということで、すごく沢山の情報を得ることが出来ています。

だから、メモを取ることは、悪いことではないです。
でも、「メモしか」はまずいと思います。

ある学校の先生は、「このお話しは、メモを取らないで、しっかり聞いた方がいいですよ。」と言ってくださいました。
僕の話を聞いてくれている先生です。
こういう先生もいます。うれしかったです。

もしかしたら、黒板を撮影してる大学生は、
その文の労力を、話を聞くことに傾けてるかもしれません。
それは、いいことだと思います。(ほんとにそうならね。)

昔、印刷技術が無かった頃。
昔、本が高くて買えなかった頃。
本を書き写す、というのは、とても価値ある行為でした。
でも、いまや、かなり時代は変わりました。
子ども達がおぼえなければいけないことのボリュームは、
ものすごく増えてしまっています。
だから、もっと効率的な学習方法を試していくべきだと思います。
そういう意味で、必死にメモ取る学校に、ちょっと不安を感じます。(いや、まじめですごくいい学校なんですけどね。)

「学び方の効率化」は、人間にとって、大事な課題だと思っています。(昔は、睡眠学習とか、ありましたねえ。漫画雑誌の最後の方に広告出てました。)