植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

F2A バッファロー

タミヤのF2Aバッファロー 1/48

昔、ふるさとの芦別市に「おもちゃの松井」というお店がありました。
小さい頃から、ずいぶん通ったお店です。
当時の僕は、プラモデルを禁止されていたので、
プラモデルを買うことが出来るのは、友達の誕生日でした。
誕生日プレゼントとしてなら、プラモデルを買えたのです。
(親戚のお兄ちゃんが来たときに、買ってもらって、作ってもらったこともありました。ようするに、見てるだけ。)
それでも、プラモデルが沢山あった「おもちゃの松井」は、
僕にとって、あこがれの場所でした。

そのお店に、ずーっとあったのが、このバッファローです。
子ども心に、「かっこわるい飛行機だなあ」と思っていました。

当時入手可能だった戦闘機に関する本は、日本人の戦争経験者が書いたものくらいしかありませんでした。
太平洋戦争では、バッファロー零戦の敵ではなかったようです。
だから、このバッファローが、いかに弱かったか、ということがさんざん書かれていました。
「空飛ぶビア樽」などと表現されてるぶかっこうなバッファロー
僕は当然のように、好きにはなれませんでした。

やがて僕は、大学に行くことになりました。
生まれて初めて、芦別市以外で暮らすことになりました。
だから、引っ越しの前に、なんとなく、思い出の場所を尋ね回りました。
受験があったし、成長して誕生日会もなくなって、久しく行ってなかった「おもちゃの松井」にも行きました。
そこにあったのは、バッファローでした。
10年くらい売れ残ってるように見えました。箱もくたびれています。
「だれも買ってくれないんだなあ・・・」と思ったら、
なんとなくかわいそうに思えました。
ということで、買ってしまいました。

その後、フィンランドの冬戦争の本を読み、
あれほどぼろカスに書かれていたバッファローが、
「真珠」扱いされていたことを知りました。
酷寒のフィンランドでは、バッファローのエンジンの始動性や整備生の良さがとても高く評価されていました。
また、少人数で大国と戦わなければいけないフィンランドでは、少ない機材を効率的にやりくりする必要があり、
そのときに、アメリカ製の信頼性の高い無線機は、大活躍だったそうです。

僕は、運動が苦手で、成績も良くなかったのが、コンプレックスでした。僕が得意なことは、学校と関係なかったので、誰も評価してくれませんでした。
そんな自分と、バッファローが、重なって思えました。

いまも、くたびれたバッファローがうちにあります。
もちろん、その後に再販されたバッファローも持っていますが、
最初に自分で自分のためにかった、かっこわるいバッファローが、
いまはなき「おもちゃの松井」の思い出とともに、
懐かしの芦別市での僕の少年時代の思い出とともに、
僕の部屋の棚にひっそりと収まっています。

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