植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

人を殺すのは、しょうがなくも、やむを得なくもないです。

僕は、戦争を嫌います。戦争は嫌です。
なぜなら、戦争は、人間としてもっともしてはならない殺人を肯定する行為でもあるからです。

殺人=しょうがない、やむを得ない。

を認めてしまうことは、とても危険です。

なぜなら、それでは、自分や、自分の愛する者が殺されることも、
「しょうがない、やむを得ない」と認めざるを得なくなるからです。
僕は、そんなこと認められないです。

だから、「殺される前に、殺せ」になるかもしれません。
これは、ものすごく危険な考え方です。
なぜなら、通常は犯罪は生じてからしか取り締まれません。
なぜなら、犯罪を立証する証拠が必要だからです。
しかし、犯罪を犯しそうだから、取り締まる、が成り立つと、
そんなもの、証拠も何もあったもんじゃないです。
だから、冤罪の嵐です。
法治が成り立たなくなります。

戦争は、「人を殺さない」「人を殺す命令を出さない」があったら、成り立たないはずです。
だから、安保法案の前段階として、
「人を殺さない」「人を殺す命令を出さない」があれば、
日本は、戦争に陥らなくなるはずです。

これは、戦争に限ったことではないです。
「食っていくためにはしょうがない」や、
「自分の快楽を得るためにしょうがない」や、
「捕まりたくないからしょうがない」などで、
人が殺されてしまうことがあります。
もちろん、殺されるまでいかなくとも、
様々な、自信や自由や権利を奪われてしまうケースもあります。
しょうがなくないです。

自分の自信を維持するために、
自分以下の人を見下し、からかう人たちもいます。
自分に被害が及ばないために、
自分もいじめに加担してしまう人もいます。

自分を守り肯定するためには、他人の権利を奪っても構わない。
という「奪う」思考の人は、きっと、戦争や犯罪も、
しょうがない、やむを得ない、と思えるのかもしれません。
それは、とても危険なことです。

戦争を防ぐためには、
そして、
殺される前に殺せ。
奪われる前に奪え。
を防ぐためには、
自分のためなら、殺すのもしょうがない、やむを得ない。
自分のためなら、奪うのもしょうがない、やむを得ない。
という思考を無くしていくことが、もっとも効果的だと思います。

そして、そのためには、
小学校や中学校の頃に、
様々な人間関係の問題などを解決できる能力を教育することが効果的だと思います。
嫌なことや問題から目を背けたり、関わらなければオッケー、ということを教えたら、まずいかもしれません。
いじめの、被害者にも、加害者にも、傍観者にもならない。ための、人間関係の問題解決能力を教えるためには、
先生や保護者が、それができていないと不可能かも。
だったら、それができる人たちを、子どもたちとかかわらせる機会を作るのが大事だと思います。

いま、裁判になる前に、当事者同士で話し合いで示談させる、という活動も行われているそうです。
そのためには、「交渉力」というものがとても大事だそうです。
すでに、本などでも出版されていますが、
こういうことを学ぶ人が増えたら、もしかしたら、戦争も、犯罪も、なくなる日が来るかもしれません。

遠からず、中小企業家同友会の空知中央地区会の例会で、交渉力のセミナーを開きたいと思っています。
その時は、オープンにしますので、興味のある方は、ぜひ参加していただければと思います。