植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

盗んだ!という訴えは、司法が解決すべきでは?

昨日来てくれた小学生が、ロケットにとても美しい月のマークを描きました。
それは、普通の三日月ではなく、トルコの国旗の月のような、円と円を組み合わせたような曲線が美しい三日月です。
僕はそれがとても素敵だと思ったので、
「まるでトルコの国旗の月みたいだね」といってしまいました。
すると、その子は「え、じゃあだめかな、消そうかな。」と言いました。
僕は、「トルコの国旗」が気に入らなかったのかな?と思って、
「いやいや、素敵だよ。セーラームーンのマークみたい。」と補足したら、ますます「やっぱり、消さなきゃだめかな。」と言いました。
そこで気がつきました。どうやらこの子は、「盗用疑惑」を心配しているようなのです。
もしかしたら、学校で何かデザインしたら、それを友達や先生から、「盗用だ!」と言われてしまうようなケースが発生しているのかもしれない、と思ったら、今回の盗用騒動は、教育の現場にもマイナスの影響を与えるばかりか、個人の自己表現にも、すごくマイナスの影響を与えてしまうように感じました。

でも、直線や、45度や、円などの、幾何学的な形を用いたり、
印刷可能な色の組み合わせの範囲では、
もはや、まったく過去に存在しないデザインを新しく作るなど、
不可能ではないかなと思います。
(複雑化すれば、同一化する可能性を減らせるけど、シンボルマークなどは大抵は、シンプルが要求されるから難しいでしょう。)

以前、音楽に詳しい人が、
ドレミファソラシドの組み合わせである限り、
音楽の組み合わせも、かなり前に限界に達している。
というようなことをいっていました。

特許という考え方は、特許を持つ人以外が使ってはいけない、という閉鎖排他的なものではなく、素晴らしいアイデアを公知して広く活用してもらい、その儲けの一部を応分の対価として発明者に還元しましょう。というものだと僕は思っています。

で、クリエィティブな仕事をしている人は、大抵、過去のクリエィターの作品から多くを学んでいます。自分の現在の能力は、過去のクリエィターのおかげとも言えます。そして、自分の能力は、未来のクリエィターの能力の一部になります。
と、考えたら、クリエィトそのものは、相互に影響し合う成長のための資産のようなものですから、そこには、パクリとか盗用とかいう概念を持ち込まないほうがいいと思います。
ましてや、当事者同士でもない、外部の人間がパクリや盗用を安易に適用や判断しないほうがいいような気がします。
もしかしたら、クリエィト作品が儲かった時に、その儲けの一部を、社会やクリエィターに還元するような「クリエィト商用利用税」のような概念があれば、もしかしたらスッキリするかもしれません。

ギリシアがアルキメデスさんの「直線」や「放物線」や「円」などの幾何学デザインに権利を主張して、お金を取るようになったら、ギリシアの財政問題が一気に解決するとか?しないとか?

盗用疑惑で叩かれたらおしまいだ、という恐怖感が、クリエィターの力を奪うような状態が、長く続かないことを祈ります。

(ちなみに、東京オリンピックのエンブレムのデザインに関しては、僕はどうこういうつもりはないです。問題があるならば、証拠を集めて、司法で解決すべきだとおもいます。)