植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

暴力という交渉手段を使えちゃう人たちがいる

暴力は、交渉手段です。
自分のやりたいことをやるとき、
それに反対する人がいたとします。
その人と、話し合いをして、折り合うところを見つけるべきなんですが、こういう交渉で不撓不屈な人がたまにいます。
全く譲歩しない。自分の意見を1ミリも曲げない。
そういう場合、そこでは、暴力が交渉手段として使われてしまうことがあります。

でも、なんのために、言葉があるのでしょう。

人間の最大の敵は人間です。
その人間同士が殺しあったら、人間はすぐに滅びたと思います。

日本では、戦国時代に、誇りや卑怯という概念が発達したそうですが、その背景には、あまりにも狭くて山がちな日本の地理が関係しているかもしれません。
たとえば、ヨーロッパや中国大陸では、土地がだだっ広いから、軍隊を動かすと、かなり遠くから発見されます。
ということは、準備されます。
でも日本は、ジャングルのような状態です。
いつでも、奇襲され、寝首をかかれる可能性があります。
いつでも、家族を人質にされる可能性もあります。
だから、「やっぱ、そういうことはやめておこうよ。」という
概念が生まれてこないと、毎日が辛すぎたかも。
(あの織田信長が、あっさり倒されたことからも、日本が奇襲しやすい環境だったことがわかると思います。)

いま、国会が大騒ぎですが、
僕は、安保法案が日本の侵略戦争に直結するとは思っていませんが、なりふりかまわず交渉手段に暴力や卑怯な行為を使う国会議員の姿をみていると、もしかしたら、この人たちは戦争起こすかもしれないなあ、と感じます。

日本は、国家元首を国民が選べない仕組みになっています。
だから、国家元首の個人的な行動を国民は制御しにくいです。
でも、忘れてはならないのは、日本は民主国家です。
最後の最後に、どう行動するかは、僕ら一人ひとりが決定できます。
そのためにも、僕ら個人個人が、論理的に、国事を考えるのも、とても大事なことです。

そのためには、もしも、戦争という状態になった時に、自分はどう行動するのかを、頭の中でシミュレーションしておくといいと思います。