植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

ソードアートオンラインみた。

何人かの人に勧められて、
いまさらのように、ソードアートオンラインというアニメを
全部見ました。

僕はソードアートオンラインのようなゲームをしたことがなかったので、最初はその世界観や設定に戸惑うところもありましたが、
お話は、後ろに行くほどに、いろんなことを考えるきっかけになるような展開で、とても面白かったです。

人は、人から必要とされたいです。
なぜなら、人間の自我はとても弱い、自分の勝手な思い込みだからです。
だから常に、自分は大丈夫だ。自分は必要とされているんだ。自分は人の役に立てるんだ。という認識が欲しいです。

その認識が欲しくても手に入らない場合、
最初から自分の価値を下げて自己評価することで、
必要とされないことを受け止めようとしてしまおうとすることもあります。
自分なんて、どーせ必要とされませんから。
私もあなたを必要としないし。あいこですよね。
でも、これでは、状態は良い方向には向かわないです。

人が人から必要とされるにはどうしたらいいのか?
実は、美しい容姿も、余裕のあるお金も、学歴も、成績も、権力も、パワーも、スキルも、いずれも、「あるにこしたことはないね」程度のものでしかないです。
さらには、どれも、単独ではたいした価値にならないです。
(ただし、それらを売る人たちにとっては、その価値を高めておいたほうがいいですから、そういう人と関わると、価値観を間違えてしまうことがあります。)

ソードアートオンラインに出てくる人たちは、
みんな、見目麗しく、突出した性能を持っています。
でも、このお話が心にしみるのは、
登場してくる人たちが、「関わり、受け入れ、見捨てない」人たちだからかな。と思います。
みんな、おせっかいで、やさしいです。

困っていそうな人がいたら、「あの人、大丈夫かな?」と思うだけで、すこし自分の心が変わります。
重たそうな荷物を持っている人がいたら、「あの人、大変そうだな」と思うだけで、すこし自分の心が変わります。
それを積み重ねていったら、いつか、
「大丈夫ですか?手伝いましょうか?」と、声をかけられるかも。
もちろん、「大丈夫です、構わないでください。」と言われるかもしれません。それは、ちょっと恥ずかしいかも。
でも、自分が、街の中で、そんな光景を見たらどう思うでしょう。
重たそうな荷物を持ってる人を、誰かが助けようとして、断られて、助けようとした人は、ちょっとバツが悪い感じで・・・
そのとき、助けようとした人には、悪い感情はわかないはず。
ああ、あのひと、断られちゃったけど、優しいひとなんだな。と思うかも。

自我は、とても弱い、自分の思い込みにすぎません。
だから、自分の思考を変化させれば、自我の有り様もかわります。

人生は、自分の思い込みで、どっちにでも向いていきます。
自分は、役に立たない。も、思い込み。
自分は、必要とされてる。も、思い込み。
どっちも思い込みなら、前向きな思い込みのほうがいいかも。

そのためには、まずは練習です。
まるで、オンラインゲームを楽しむかのように、
脳内でいろんな人を助けるシミュレーションをしていたら、
本当に、おせっかいでやさしい人になれるかもしれません。